うなぎと証券の切っても切れない関係とは? 変わりゆく兜町について、街を見守ってきたレジェンドが語る

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東京証券取引所からほど近い裏路地に、古風な木造建築と藍染めの暖簾がひときわ目を引く。兜町で証券マンに親しまれてきたうなぎの老舗・松よしだ。

2018年12月28日に惜しまれつつ閉店するこの店が生まれたのは、戦後に東証が再開した1949年のこと。約70年にわたって金融の歴史を見続けてきたのだ。

一方で、「国際金融都市・東京」構想の中核として、兜町は大規模な再開発が進んでいる。

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激動の昭和と終わりゆく平成を経て、この先の兜町はどう変わっていくのか。

金融街を見続けてきた松よし店主・江本良雄さんと、再開発の旗手である平和不動産社長・岩熊博之さんにたっぷりと語ってもらった。

うなぎを食べてゲン担ぎ。証券マンの食文化

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岩熊社長「兜町でうなぎといえば松よし。そりゃそうですよ。42年間この街にいますけど。忘れもしない昭和50年12月。取引所の内定が出て、書類を提出に行ったら、『昼飯どうした?』と聞かれて人事に連れてこられたのが松よしですよ。社会人とはこんなにうまいもの食ってるのかと感動したのをよく覚えています」

もともと岩熊社長は東証で社長まで務めた人物。この街では、いつだってうなぎといえば松よしだったという。

江本さん「”うなぎ登り”というくらいで、株屋さんってのはゲンを担ぐ人が多いんですよ。うなぎ天ぷら寿司と、江戸の食文化をみんな好みました。みなさんせっかちですぐに出てこないとダメなんですよね。11時の開店ちょっと前に来て、バーッと食べて行っちゃう」

岩熊社長「僕は証券業界を少し離れましたから、少し食べるのが遅くなりました(笑)。でも何かの祝いにいただいたり、ご馳走したりってことは多かったです。良心的な価格に抑えて下さっていたわけですし」

江戸前の確かな仕事は、相場で仕込み量を決める証券街流

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この日いただいたのは特上のうな重。重箱に収まりきらないサイズのウナギは、尾を上にくるりと折り上げた”イカダ”という趣向だ。順風満帆で縁起がいい、江戸前の文脈。

焼きの前に身をしっかりと蒸し、ほろりと崩れる柔らかさは関東風の確かな仕事。鹿児島県産の肉厚のうなぎは豊満そのもので、秘伝のタレとバツグンに合う。

江本さん「安くおいしいうなぎを出したいということで、この店を作ったんですよ。親父はウナギを届ける商売をしていたんです。昌平橋のうなぎ屋と懇意になって、今のマンションひとつ分の値段(!)でタレを譲ってもらったそうです。その当時ですでに相当の歴史があって、そこから七十年経ったわけだから、すでに百年以上はタレの歴史があります。今も、醤油とみりんだけ継ぎ足して」

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岩熊社長「なんでこんなにうまいのかね。ホクホク感が違うもんね。私は福岡出身ですが、東京の方が長いもんだから、こっちの関東風が好きになっちゃった」

江本さん「その日のうなぎはその日の朝に仕込むんです。今日は昨日よりダウが800ドルも安かったじゃないですか。注文が少ないかと思っていたら、思いのほか多くて。難しいですね。でもやっぱり多少のヒントはあって、その経験則で仕込みをやるんですよ。一切株はやりませんけど、そこそこ詳しくなりますね。昔は特にそうで、親父がやっていたころは日経平均が上がれば、先輩が松よしのうなぎを驕る、なんてやってくれたんですよ」

経済ニュースを見てうなぎを仕込んでいるのは、日本でもきっとここだけだろう。それだけ証券業界と馴染みのある老舗なのだ。

江本さん「食べてほしいという気持ちに支えられてやってきましたからね。だから古い常連さんが定年しても見えますよ。本当にこの街が好きなんですよ、みなさん」

歴史と伝統の町・日本橋で、”兜町の温度計”がひと区切り

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江本さんは兜町町会の会長を努めているという。他ならぬ誰よりも、この街を愛しているのかもしれない。日本橋界隈でも、茅場町が職人の町であるのに対し、兜町は旦那の町だとか。この地に愛着と誇りがある。

江本さん「生まれてこの方68年間、この街を出たことがないもんですから、思い入れは強いですよ。でもやっぱり後継者がいないからね。ひとつひとつ丁寧にしないといけないし、雇った板前さんにはなかなか任せられないし。早朝から仕込みをしていますし。やっぱり口に入るものだから、自信がないと出せないですよ。そうなると人に任せられない。私も年ですし、女房もだいぶ疲れてきましたからね」

岩熊社長「本来は地元の人間が止めなきゃいけないんでしょうけどね。街から見ても松よしさんの暖簾は代名詞ですからね。東証に取材するより松よしさんに聞けという時代があったくらいで、兜町の体温計だったわけですもん」

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江本さん「代々続いたタレを残したいという気持ちはあるんですよね。もうちょっと我慢すれば、平和不動産さんの再開発があって、新しい複合ビルができるんだけど。実はそのビルを使う人たちの食事処を心配していて」

岩熊社長「ビルができるまでの3年間休養して、また店を出して下さいよ。地元からきっと声がかかります。この暖簾は残さないとって、街の関係者はみんな思っていますから。この日本橋エリアはそういう意識が強い地域です。建物が新しくなる中で、どうやって文化を継承していくのかが大切ですよね。そういうカルチャーがここにはあっていいんじゃないかなって思うんです」

これからの兜町は、個人に開かれた資産形成の街へ

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では、この先の兜町はどう変わっていくのだろうか。

岩熊社長「取引所がある限り証券金融の街ですが、これからは資産運用の中心地になっていくと思います。お金は人生において大切なものですし、個人の資産形成が今後ますます注目されていく。その意識を高めていただくために、街全体で貢献することがこれからの兜町の使命じゃないかと思います」

明治11年に渋沢栄一が取引所を開いて、以来140年、日本の資本主義の中心地であり続けた。日本の経済のことはじめの地は、この先、個人の資産形成のことはじめとして訪れる街になっていくようだ。

岩熊社長「新しい時代に入って、フィンテックの会社も兜町に入ってきています。証券を学びに、見学に来る若い人も多いですし、そういう人たちにどんどん学んでいただいて、マーケットを人生にどう役立てていくかを考える場所にしてほしいですよね。そこで休憩したり食事したりする場所も大事じゃないですか。松よしさんのうなぎもそうですし、街全体で来街者の方を歓待しないといけませんよね」

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江本さん「今の若い人でゲンを担いでうなぎを食べたがる人がいるかはわかりませんけどね。でも、そういう文化も次の世代に伝わっていってくれたらというのが、私の願いでもありますよ」

変わりゆく街、兜町。しかしそこに根ざした人たちは、確かに文化のバトンを受け継ぎ、発展させてきた。そしてそのバトンを、次の世代に継承したいと考えているようだ。

【取材協力】
松よし
住所:東京都中央区日本橋兜町9-5
電話:03-3666-0732
営業:11:00~(土日祝定休)

 

(取材・文/吉州正行 撮影/澤田聖司)