歴史的な視点で経済や市場を学ぶ

【第2回】律令制の崩壊と市場経済のはじまり(後編)

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4. 油座

木津川を抑えた興福寺のように、宇治川や淀川、桂川といった水運を抑えた宗教的権威があります。それが石清水八幡宮およびその末社である京都大山崎の離宮八幡宮です。この離宮八幡宮を本所とする大山崎油座が中世最大の油座として知られています。

戦国時代に菜種から油を採る手法が開発されるまでは、油と言えば、荏胡麻(えごま)から採取するもので、灯油として特に自社では欠かせないため、各寺社は所属の神人等に製造から仕入れまでを任せて、安定的に供給量を確保しようとしました。このことから、大寺院に所属する神人達による油座が平安後期から各地に誕生するようになったと言われています。

大山崎油座の活動範囲は尾張・美濃・近江・山城・摂津・河内・和泉・丹波・播磨・備前・阿波・伊予の諸国に及びました。離宮八幡宮は平安京の守護神であり、八万神は源氏の信仰対象であったことから、鎌倉、室町幕府からの特別な扱いを受けやすかったことが影響したのかもしれません。例えば大和では先述の興福寺の権威が強く、大山崎油座の商圏にはなっていません。このようなことは、勢力を拡大する座同士のトラブルの存在も予測させます。

鎌倉・室町期を通じて、大山崎油座の神人は、販売権の侵害や関所での乱暴行為等で各地の商人と訴訟関係にありましたが、事実関係を吟味した結果というよりは、宗教的権威を背景とした強引な勝訴を得ていたようです。このようなトラブル処理の経験を積み重ね、商人達は有無を言わさぬ証拠となる文章を作成するようになっていったと言われています。つまり、口約束ではなく、約束事を明記するということです。

5. 多様な考え方の衝突という経験

さて、市場経済の発展に関して、私たちが考える重要なキーワードとして、「多様性」というものを提示しておきます。

指令型経済や、小さな座と小さな市場の間では、同じルールを設定するのが当然です。そうするともめ事も少なくなるのですが、この油座のように広域で活動するためには、多くの異なるルールとの衝突が発生します。逆に言えば、大きな市場になればなるほど、市場は多様な参加者が集まるのです。この時代は、大きな宗教的権威や強い暴力を持つものが多様な市場での勝者となっていたのですが、一方で、市場は異なる考え方を持つものの間での様々な「調整」が行われるということも人々は体験していきます。暴力による強制ではなく、両者の合意による平和的な調整のほうがより利益が大きいことも経験的に学んでいったのです。

多様な考え方を包み込むような大きなルールを維持できる権力は、平安後期・鎌倉期・室町期にはあった時もありましたが、おおむね市場には無関心で、多くの期間、そのような権力そのものが弱体化していました。その結果、多様な商人同士がお互いに理解できるルールを文書化することや、出納記録を残すということが、この時代以降の商人にとってのビジネススキルとして、極めて重要な能力になっていったと考えられています。

6. 神仏と市場

律令制の崩壊後、市場では寺院・神社という宗教的権威が非常に大きな役割を果たしていたことが、ここまでのお話でわかっていただけたかと思います。

そもそも、神人等が商業セクターを担っていた根本的な理由は、市場における信用というものの難しさにあると思われます。つまり、取引の相手を信用するという難しい作業を補完する為に、「神仏に仕える者」が神仏の面前では裏切り行為はしないという当時の論理を利用したのです。信仰と信用が混然一体としていたということです。

現在では、神仏に仕える者を無条件に信じるということは残念ながら無く、相手を信用する為に、別の様々な工夫が市場で行われています。その一つが、情報開示や審査と言われるものです。例えば東京証券取引所に上場する会社が、会社の中で発生した情報を直ちに公開する適時開示情報システムがあります。相手の情報がわかれば信用の判断はしやすいですよね。それに、そもそも上場会社が上場、すなわち取引所でその会社の株式を売買することを許されるようになるための厳正な審査を取引所がすることで、市場システムへの信用を生み出しています。

座には、宗教的権威による調整を利用しつつ、メンバー内の相互監視等を働かせ、商人が自主的に商業上の規律を保つ役割をもっていました。現代でも、業界団体による自主規制と呼ばれる団体のメンバーが自ら課している規制やルールというものが存在する場合があります。日本取引所グループも、日本取引所自主規制法人という自主規制を業務にした組織をもっています。

大山崎油座では、外部に対する自主的な規制機能があまり発揮されなかったようですが、それは当時の権力と裁判技術に限界があったことが要因です。例えば、当時は偽文書等を判別する制度がありませんでした。そのような制度が誕生したのは16世紀以降です。

それでも商人達は文書を作成し、記録するスキルを高めていきます。それは、マーケットが神仏から切り離されていく局面でした。ここから長い時間をかけて、信仰と信用の境界性を超える形で市場が深化していく大きな分岐点となったのです。(次回につづく)

※このお話は、横山和輝名古屋市立大学経済学部准教授の協力を得て、横山氏の著作「マーケット進化論」日本評論社、「日本史で学ぶ経済学」東洋経済新報社 をベースに東京証券取引所が作成したものです。

(東証マネ部!編集部)

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律令制の崩壊と市場経済のはじまり(前編)

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