BtoB企業から社会を知ろう!

町のインキ屋から化学業へ、国際的買収劇を繰り広げた100年。印刷インキ世界シェアNo.1のDICとは何者!?(前編)

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私たちの日常は彩りに満ちている。色とりどりの色彩の商品パッケージや印刷物、商品の数々には、着色されているケースが多い。そのインキを100年以上前から作り続ける世界首位の会社がある。一方で、企業買収を重ねて世界64カ国で事業を展開するファインケミカルメーカーという側面も。BtoB企業のDICとは、いったい何の会社なのか!? 代表取締役 社長執行役員の猪野 薫さんに話を伺った。

最初はワンオブゼムのインキ屋さん。しかし、先見の明があった

「現在も板橋にある東京工場がDICの母体になっています。当時は、数あるインキ屋のワンオブゼムだったのだと思います。当時どれくらい同業他社さんから秀でていたかは私もわからないのですが、確実に野心はあったのでしょうね」

日露戦争後の1908年、世の中の印刷需要を見据えて、創業者である川村喜十郎氏が作った川村インキ製造所がDICの前身だ。けれども当時は、猪野社長の言葉を借りると「ごく普通のインキ屋」。しかし、創業家には先見の明があったという。

「印刷インキはいろんな種類がありますが、機械との相性や、『うちのグラビアはこういう光沢で出したい』といった意匠性が求められるわけです。それまでは輸入原料を混ぜ合わせていたのですが、それだけでは求める発色の実現は難しい。原料そのものの組成もさることながら、自前で原料を用意する必要がある。この発想の実現は大きかったと思います。創業者の言葉に『進取・誠実・勤勉』というものがあり、そういった考えが後押ししたのでしょう」

進取とは、言いかえればパイオニア精神。輸入原料だったものを自前でまかなうことは、当時画期的だったとか。それは国内での事業の深化に加え、インキの自前生産をベースにファインケミカルメーカーへと舵を切り、さらには海外に船出するキッカケになった。

知られざるBtoB企業が仕掛けた、あっと驚く買収劇

戦後、1962年に大日本インキ化学工業株式会社へと社名を変え、液晶の原材料など、インキの製造技術を利用して次々にBtoB向けの商品を開発していく。

「1960年代~70年代に海外に進出して拠点を作る、というのは他にあまりなかったんです。2代目もそうですが、アメリカや外資規制のあったアジアに出かけて、交渉をまとめてくるというのはハードルが高かったはずです。創業家に備わっていたパイオニア精神に加え、そういう会社に身を置いた技術者の『この技術を知って使ってほしい』という夢の実現のためのアプローチでもありました」

とりわけ日本でもセンセーショナルに報じられたのが、米サンケミカル社の買収だった。バブル華やかなりしころとはいえ、日本企業が米国企業を傘下に収めるなんて大ごとだったのだ。

「連日、3代目の川村茂邦社長が日経新聞に出ていました。『買収とは時間を買うこと』と語り、その姿勢はアグレッシブでしたね。知名度もないのにTOB(敵対的企業買収)という方法を使ったわけですが、連日の報道は誇らしい気分ではありました」

企業の前向きな姿勢は、社員のモチベーションに繋がる

その当時、入社5年目だった猪野さんは財務部にいた。資金調達にも携わり、買収劇のまっただ中にいたのである。

「パイオニア、グローバルスピリッツが強く、リーダー自ら実践していた。その先には、技術でも営業でもグローバルシェアNo.1を勝ち取るんだという強い気持ちがあって。その精神は突然生まれたわけではなく、60年代から規模は小さいながらいくつも行ってきた。武者震いをしながら『大きな企業を傘下に収めていこう』という気概があったのです」

このような企業の前向きな姿勢は、そのなかで働く人たちにとってもポジティブな影響を与えていたという。そしてイノベーションやM&Aはブレイクスルーに繋がり、ファインケミカル事業はインキと並ぶ稼ぎ頭になった。今に通じるDICの企業としてのありさまができたのだ。

創業者 川村喜十郎氏

「当時の2代目・川村勝巳が『巨大なる中小企業』という表現をしました。ひとつひとつの事業はグローバルプロダクツではないわけですが、数多く合わさって大企業を形成しているという意味です」

次に狙う新たなブレイクスルーは“サステナビリティ”

事業の多角化と拡大路線を遂げ、世界有数のファインケミカルメーカーへと成長を遂げた大日本インキ化学工業は、創業100年目に社名をDICに変えた。そして2018年に就任した猪野社長は新しい考え方を取り入れる。経済的価値に加え、持続可能な社会に貢献する「サステナビリティ」という指針だ。

「社長就任にあたり、どういう会社にすべきかを示すのにいろいろ考えました。基本戦略のベーシックなものに据えたのは、社会に対する提供価値の向上と、経済価値の向上がシンクロするエリアに、経営資源を投入していくという考え方です」

ケミカルメーカーは商品を通して利便性を提供してきたが、それにより公害など深刻な負の側面をもたらしてきた。そこで今後は、環境と利便性が両立できる部分にビジネスチャンスを見いだしていくという。

「サステナビリティを考えたときに、最初に配慮すべきは地球環境ですよね。センセーショナルになりすぎているきらいはありますが、放っておけば異常事態になる。今手を打たないと人間が暮らせなくなる環境になってしまう。しかし単なる社会貢献ではいけない。慈善事業だと投資の循環がおこらないし、結果的に、事業を通じて継続して行うことが中途半端に終わるかもしれません。そこでイノベーションの継続とリソースを投下し、得られたキャッシュフローでESGや社会貢献もできていく。それを目指したのです」

ESGへの取り組みは、この先もっとも重要な企業評価のひとつへ

ESGとは今、世界的に注目を集める発想だ。環境、社会、ガバナンスへの貢献が“三方良し”の状態で、はじめて企業が今後長期的な成長を遂げられるという考え方。近年、株式市場で高評価の対象になっている。

「弊社の商品では、たとえば食品の梱包材があります。パンを普通の紙で包むとベタベタになってしまいますが、耐油性のコーティングを行います。酸素や水蒸気を透過しない特殊な接着剤を使うことで、単なる包装資材だったものが、賞味期限を3倍に延ばせる画期的なものになるわけです。しかし色が付いているのでリサイクルに向きません。そこで塗布したインキがポロッと剥がれやすいものにできて、インキ自体も土に還るものにできればほぼ完璧。フードロス、リサイクル、環境問題に配慮した画期的な商品としてESGの観点で作られ、売り上げにも繋がるわけです。こういったものをどんどん世に出していこうと思っています」

製品でサステナビリティを世に問うのが、製造業としてできるアプローチだ。「いかに利益を上げるか」から「いかに持続可能な取り組みをしているか」がますます問われていくなかで、DICの舵取りがこの先ますます注目を集めそうだ。(後編に続く)

(執筆:吉州正行)

<プロフィール>
猪野 薫
1957年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、81年に大日本インキ化学工業に入社し、財務部長、資材・物流部長を歴任。2012年に執行役員 経営企画部長。2018年、60歳で代表取締役 社長執行役員に就任。2019年、「Value Transformation(事業の質的転換)」と「New Pillar Creation(新事業の創出)」という2つのコンセプトを盛り込んだ中期経営計画を策定。「Color & Comfort」のブランドスローガンのもと、持続可能な社会に向けたさまざまな取り組みを行う。

<合わせて読みたい!>
コロナ禍で「基本戦略に誤りがないと確信」。偉大なる中小企業、DICの打ち手(後編)

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