歴史的な視点で経済や市場を学ぶ

【第6回】日本の証券市場のルーツは江戸時代にあり(後編)

TAGS.

4. 堂島米会所での米切手の売買

現代の株式市場でも、会社が株式を発行する発行市場と、発行された株式を投資家が売買する流通市場があります。前編で説明した米切手の発行プロセスは発行市場そのもので、これから説明する堂島米会所での売買は、流通市場そのものです。

さて、先ほどの入札のプロセスにおいて、各商人が入札する価格をどのように決定していたでしょうか?それは、堂島米会所で売買される米切手のスポット価格を用いていました。堂島米会所で売買されるお米の量は全国にあるほかの米市場(例えば庄内の酒田)よりかなり大きいので、各市場の価格も堂島価格に最終的に一致するようになっていました。堂島の価格は飛脚などを使って全国に告知されていました。堂島は事実上、米と銀の交換レートを決める日本の中央市場になっていたのです。

売買は主に二つの方式がありました。まず、正米(しょうまい)取引と言うスポット価格取引です(現代で言うところの現物取引)。約30の藩の米切手が売買されて、まさにその日の需給によって価格が決まり、買い方は現金を支払い、売り方は米切手を渡す、現金現物が義務付けられた決済でした。

2 前出 高槻泰郎。すべての藩の発行する米切手が売買の対象となったわけではなかった

もう一つは、非常に独特な売買手法で、帳合米(ちょうあいまい)取引と呼ばれていました(現代でいうところの先物取引)。帳合米取引で売買されるものは通常の米切手ではありません。個別の米切手ではなく、堂島米会所全体を表すような架空の米切手を想定します。そしてその架空の米切手を将来の期日に受け渡すことにしておいて(実際には架空の米切手なので受け渡しできない)、期日迄にその米切手を売った人は買い戻し、その米切手を買った人は売るのです。最終的には、買った値段と売った値段の差額を一方がもう一方に渡すかたちで差金を決済するだけで良いのです。

さて、架空の米切手の期日での決済の価格はどうやってきめるのかというと、堂島の正米取引される米切手のなかに、その期日の決済価格となる米切手を決めておくのです。それを立物米(たてものまい)といいます。

ん?結局、帳合米取引って立物米の先物取引では?と思った方もいらっしゃるかもしれませんが、違います。あくまでも架空の米切手を売買しているので、立物米銘柄の米切手を期日に手に入れることはできません。どちらかといえば、日経225指数先物取引に似ています。期日前に買い戻し・売り戻しをしてももちろん構いません。そういった取引は帳面につけて進めていく、帳面を合わせていくということから帳合米取引と呼ばれたのです。大坂堂島米会所で行われる取引の大部分はこの帳合米取引でした。

3 前出 高槻泰郎。

5. 堂島米会所の存在意義

徳川吉宗は、享保の改革と呼ばれる改革の後半の1730(享保15)年に、大坂堂島米市場を幕府公許とし堂島米会所としました。米価対策として、米価を決めるプラットフォームは幕府の管理下に置くけれど、その上での売買は、帳合米取引を含めて従来通り行いなさいというものでした。これは時の政権が、市場価格形成に直接は介入しないが制度面での保障はしているというゆるぎのないメッセージであり、堂島米会所は幕末まで、江戸時代の日本経済システムの中枢を支えて機能していきます。

また、こうしたコミットメント、つまりは徳川政権による公認を後ろ盾にして、堂島米会所での清算取引(現物の受渡しを前提としない)は行なわれていました。先物取引の公設のマーケットとして世界最初のケースとされる大坂堂島米会所の取引は、こうした公権力の後ろ盾があってこそ成立するものでした。

そもそも蔵の中にある米かどうかわからない米切手を米に変えるつもりもなく売買していたり、さらに架空の米切手を想像して売買していたりということを想像すると、それはいったい何のために?と思う人もいるかもしれません。ある人にとっては理解しがたいマネーゲームに見えるでしょう。しかし、別の立場で見れば、お米という自然環境に収量が左右される作物の価格変動の影響を、市中の米屋や庶民がなるべく受けないようにすることができたはずですし、大名にとっては、米の収量の大小にかかわらず、入札時の価格が安定化するメリットがあったはずです。

堂島米会所での帳合米取引は、自然現象によるリスクの存在をふまえて、当時の人々がそのリスクをヘッジするために編み出した知恵の結晶だったとも言えます。

さらに、江戸期を通じて徐々に財政面で苦しむことになる藩が少なくないなか、堂島米会所で適宜資金を調達できることは、日本全体で見れば、黒字主体である商人から赤字主体である各大名(地方政府)に資金を融通して経済を円滑にする有効な手段の一つではあったのです。

明治になって、渋沢栄一等の手によって株式等の証券市場が開設された際に、堂島米会所で“証券”を売買していた慣行が大いに引き継がれます。立会(たちあい)、前場(ぜんば)、後場(ごば)、寄付(よりつき)、引け(ひけ)というような基本的な証券取引用語の多くは、この堂島米会所由来のものなのです。(次回に続く)

※このお話は、横山和輝名古屋市立大学経済学部准教授の協力を得て、横山氏の著作「マーケット進化論」日本評論社、「日本史で学ぶ経済学」東洋経済新報社 をベースに東京証券取引所が作成したものです。

(東証マネ部!編集部)

<合わせて読みたい!>
日本の証券市場のルーツは江戸時代にあり(前編)

注目キーワード