【第7回】江戸時代の経済(商業・流通)の基本的な仕組み(前編)
この記事は、連載シリーズ「歴史的な視点で経済、市場を学ぼう」の第7回で、2020/11/11(水)配信「【第6回】日本の証券市場のルーツは江戸時代にあり(前編)(後編)」の続きです。
1. 江戸期の財・貨幣の流れと問屋組織
今回は徳川時代の市場経済について株仲間を中心に説明します。
まず、前回お話した大坂を中心とした米だけでなく、米以外の物産すべてを含めた江戸期の流通システムについて説明します。江戸時代の市場経済は幕藩体制という政治システムと一体です。幕藩体制は市場システムとして、藩という地方政府と大坂、江戸という江戸期を代表する都市との間を貨幣と財が循環する仕組みでもありました。この仕組みは、下図のように江戸期を通じて変化します。
江戸期前半の財と貨幣の流れ
大坂には菜種、鉄、木材、綿花というような原材料が大量に入荷する一方で、菜種油、縞木綿、万鉄道具といった加工品、手工業品が出荷されていきます。大坂内部もしくは江戸には、手工業品を全国に廻送するだけの流通上の仕組み、すなわち専業問屋組織が存在していました。
取引は問屋同士の相対で行われ、大量取引が基本なので、遠隔地の場合はサンプルだけで評価して、書状を交し合い、帳簿をつけあうなどの工夫のもと、信用にもとづいた取引が行われ、問屋組織内で各問屋の信用に関する情報は蓄積され、互いに共有されていました。
幕府は当初、このような問屋組織を二つの点で問題視していました。一つは、物品の買占めによる値上がり、もう一つは、事実上の新規参入の阻害でした。
2. 楽市・楽座はどうなった?
ここで思い出してほしいのは、信長の時代の楽市・楽座です。江戸時代になって、楽市・楽座はなくなってしまったのでしょうか?
楽市・楽座が徳川時代になって特に禁止されたわけではありませんでした。ただし商人のあり方は従来とかたちを変えることになりました。楽市・楽座で目的とされたのはいかにして商人を誘致するかにありました。やがて領主層はこうして集住して来た商人たちにいかにして城下町で安心して暮らしてもらうかに政策上の軸を移します。第6回で説明した石高制(こくだかせい)がすでに社会を構成する重要な仕組みとなっていました。刀狩りあるいは海賊禁止令を通じて、豊臣政権・徳川政権は人々の職業および居住地を形式的に固定化することにしました。
こうした社会の姿について”士農工商”という身分制度から学校で習った記憶がある人は多いと思います。とはいえ、そのような制度は法的に定められたものでもありませんし現在では教科書の記述から消されています。ただし税制面ではれっきとした区別があり、村落では本年貢(米)を中心とする租税体系が成立し、都市の町人に対する課税としては運上金などの税金を徴収していました。
誰もが自由に市場でものを売れるわけではなかったとはいえ、商人同士の競争や商人が新しいビジネスに参入することが禁止されていたわけではなく、むしろ奨励されていたのですが、専業問屋組織のような形の中では、激しい競争は起こりにくいのは明らかです。幕府は17世紀の半ばには、今でいう業者の談合による価格の吊り上げ行為や、新規参入の妨害を禁止しています。一方で、経済の実態面を見れば物流や資金決済制度は規模の拡大で効率化しており、幕府は問屋組織を通じて市場を管理する体制を整えていったのです。
「大江戸商い白書」山室恭子 講談社選書メチエ 2015年によれば、江戸期の個人向けの商店に関しては、非常に激しい競争にさらされ、平均存続期間15.7年、血縁の相続はわずかに9%で、半数が商権を金銭譲渡しているなど、ほぼ自由な新規商店主の参入の上での激しい自由競争状態であったことがわかります。
3. 株仲間
身分制度という枠のなかで、商売の権利つまり営業権のようなものが“株”と呼ばれるものを介して引き継がれていきます。同じ株を持つ者同士の集まりを株仲間といい、株を所有することで構成員と認められました。また、営業権のようなものだけではなく、身分(御家人株や旗本株として)も売買されることがありました。
株仲間組織は、幕府の公権力を背景に江戸時代の市場経済のメカニズムとして組み込まれていきます。
例えば、様々な取引の報告等は、株仲間組織を通じて幕府は把握します。また、株仲間は個々のメンバーの単独行動を戒め、不正を行う仲買人に対しては問屋株仲間として対応し、不正を行う問屋には仲買株仲間が対応していました。不正をはたらいた人は、株仲間から排除され、どこにも参加できなくなるので、不正の抑止効果は大きかったのです。(不正を犯す機会費用が高かった、というのがより経済学的な表現です。)
これらのことは市場を運営していくうえで欠かせないわけですが、これらをすべて幕府の手で行うのはリソース的に不可能ですので、株仲間組織を使って市場の機能不全を最小限にとどめるようにしていたのです。
このような役割を行う組織は現代にもあります。例えば、日本証券業協会という証券業社の団体は1、証券業にかかわる様々なデータを自ら収取して公表しますし、必要な法的整備を業界を代表して官公庁に要望するという重要な活動をしています。法律とは別の自主規制ルールもあり、自主規制組織として処分をすることもあります。これらも、現代の行政組織が全部を行うことは不可能なので、市場経済を機能させるために、自主規制機能を持った組織が存在しているのです。(後編に続く)
1 あくまでも役割に似ている部分があるということで、証券業協会が世襲制の株仲間と同様の組織であるということではありません。
※このお話は、横山和輝名古屋市立大学経済学部准教授の協力を得て、横山氏の著作「マーケット進化論」日本評論社、「日本史で学ぶ経済学」東洋経済新報社 をベースに東京証券取引所が作成したものです。
(東証マネ部!編集部)
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