投資家の本棚
【作家・橘玲さん】ファイナンス理論を限界まで突き詰めた良書『証券投資の思想革命 ウォール街を変えたノーベル賞経済学者たち』
投資家としての一面も持つ各界のトップランナーに、投資への想いとオススメの本を訊くこちらの企画。今回は、『臆病者のための株入門』『言ってはいけない—残酷すぎる真実』などの著書で知られる人気作家の橘玲(たちばな・あきら)さん。
橘さんは、小説からビジネス書まで、幅広いジャンルの本を手掛けており、軒並みベストセラーに輝いています。書籍を通して、ほとんどの人が当たり前のように信じて疑わない常識にメスを入れ、物事の真実や本質を伝えてきました。
これまで、投資をテーマにした本も数多く執筆している橘さんですが、投資初心者だった頃に影響を受けたというのが、今回オススメいただく『証券投資の思想革命 ウォール街を変えたノーベル賞経済学者たち』。著者のピーター・L・バーンスタインは、米国の投資コンサルタントとして名高い人物です。そもそも橘さんが投資に興味を持ったきっかけをはじめ、オススメの理由について伺いました。
投資に関心を持ったのは、30代半ばで会社を辞めたことがきっかけ
――橘さんが、投資をはじめようと思われたのは、いつ頃のことだったのでしょうか?
橘:いまから30年ほど前なので、30代になった頃ですね。中堅の出版社に勤めていたのですが、「会社員はそろそろいいかな、独立してみたいな」と考えるようになりました。いわゆるサラリーマン人生の転機です。当時は出版業界も定年まで一つの会社で働くのがふつうだったのですが、これから先、さらに30年も同じことをするのはどう考えても無理だと思いました。
でも、会社を辞めたら毎月の給料がなくなるわけで、「子どもをどうやって養っていけばいいんだろう。そもそも会社を辞めてどうやってお金を稼ぐんだろう」と真面目に考えるようになったんです。それで、そういえば投資や資産運用のことを何も知らないと気づいて勉強するようになりました。
――そのときに読まれたのが、『証券投資の思想革命 ウォール街を変えたノーベル賞経済学者たち』だそうですね。
橘:はい。他にも株式投資の本をいろいろ読んでみたのですが、著者によって見解が全然違うので、どれが正しくてどれが間違っているのか、よく分からなかったんです。そんなとき偶然この本を手に取ったのですが、大きな衝撃を受けました。
――どのような内容か、簡単にご説明いただけますか?
橘:ファイナンス理論の研究でノーベル経済学賞を受賞した学者を中心に、その人物像や時代背景、研究内容などが物語風に、じつに魅力的に描かれています。
表紙からして難しそうに見えますが、そもそもファイナンス理論とは何なのか、どういう考え方をもとに理論が導き出されているのか理路整然と説明されていて、エピソードも面白く、とても読みやすいんです。
ファイナンス理論とは、金融市場の仕組みや、投資家はどう資産運用すべきかを、勘や経験ではなく科学=ロジックで明らかにしようとするものです。この本では、ファイナンス理論の完成に関わった経済学者たちの研究が網羅されています。
「ノーベル賞をとるくらいの理論なんだから間違ったことは言ってないだろう」くらいの気持ちで読みはじめたのですが、賢い人たちが理論の限界まで突き詰めたらどうなるかを知るにつれて、それまでの投資についての断片的な知識がつながり、この本を通してようやくファイナンス理論の全貌を把握できるようになりました。すごく視界が晴れて感動しました。
金融市場では「すべての人が平等に持つもの」が武器になる
――たとえば、どのような部分に感動されたのでしょう?
橘:たとえば、「効率的市場仮説」を前提にすると、投資家の合理的な選択はインデックスファンドを買うことしかないと、すっきり説明されているところですね。
効率的市場仮説では、金融商品の価格にはあらゆる情報が織り込まれているため、つねに適正価格になっています。だとすれば、将来の株価の変動は確率的にしか予測できず、投資の成功も失敗も運次第になります。この説が正しいとすると、有利な立場の投資家は誰一人いません。
そうなると、合理的な選択をするすべての投資家は、同一の情報、同一の基準、同一の判断に基づいて、同一のポートフォリオを保有するはずです。その同一のポートフォリオは、長期的には平均に収束するはずなので、市場のインデックスと同じになります。それに対してアクティブファンドは、平均すれば手数料の分だけパッシブ(インデックス)ファンドに負けることになります。こうして、市場平均に連動したインデックスファンドに投資することが合理的な選択になるわけです。
最近では、「市場には歪みがある」とか「市場は正規分布ではなく複雑系だ」などの主張が有力になってきましたが、それでも(すくなくとも個人投資家にとっては)この結論は変わりません。
――なるほど。ただ、合理的なインデックス投資って、なんだかこう……。
橘:ワクワクしない?
――はい(笑)。
橘:毎月、決まった金額を投資するだけですから、手間と時間がかからない一方で面白さはありませんよね。「商品やサービスが素晴らしい」「経営者をすごく尊敬している」「きっとこの会社は伸びるに違いない」と思って、その会社の株を買って株価が上がり、儲かったらすごい快感です。だから、理屈からすればインデックス投資が正しくても、面白いから個別株を買う人が多いのだと思います。
ただ、みんながみんな金融市場に面白さを求めているわけではないですよね。「資産運用に時間をかけたくない。余った時間は趣味や仕事に使いたい」という人には、インデックス投資は適していると思います。自動積み立てにしておけばなにもする必要はないし、毎月ETFを買うにしても必要な時間はせいぜい5分でしょう。そのうえインデックスへの長期投資は、「すべての人が平等に持っているもの」が武器になるんです。
――その武器とは何でしょうか?
橘:時間です。最近は、金融市場をHFT(高頻度取引)が席捲しています。超高性能のコンピュータで市場の歪みを見つけ出し、ミリ秒単位の取引で収益化する。そんなモンスターのようなシステムに、個人がアナログな手法で対抗しようとしても限界があります。その結果、市場は効率化して、ますます宝くじのような確率のゲーム(ギャンブル)になってきています。
しかし個人は、投資の果実を受け取るまで「待つ」ことができます。25歳でインデックスの積み立て投資をはじめたとして、結果が出るのは30年、40年後でかまわない。四半期単位で成績を出さないと解雇されてしまうヘッジファンドのマネージャーにはこんなことはぜったいできませんから、これが個人投資家の最大のアドバンテージです。
現代社会の経済格差は知識格差と連動している
――なるほど。そうしたことを知らずに、安易に投資をはじめるのはやはり危険ですね。
橘:いま、日本に限らず世界中で「知識社会の高度化」が加速しています。知識社会というのは、原理的に、言語運用能力や数学・論理的能力の高い者に優位性のある社会です。その結果、投資の世界でも金融リテラシーの低い人たちが「搾取」されることになりかねない。
クレジットカードで利用者全員が1回払いを選んだら、カード会社は利益になりません(店舗からの手数料収入はあるでしょうが)。ではなぜカード会社が儲かるかと言えば、リボ払いを選ぶ人がいるから。ゼロ金利の世界で、20%ちかい利率で借金するのは、ファイナンス理論からすればものすごく不利な取引です。その一方で、1回払いにしている人は無リスクでポイントを貯めている。リボ払いをしている人が1回払いの人に貢いでいる構図です。
――分かっていても、欲望に負けてリボ払いを選んでしまうこともありそうです。
橘:それはクレジットカード会社が、消費者のデータを分析して、どうマーケティングすれば収益を最大化できるか一生懸命考えているからです。ここは誤解されやすいのですが、合法的なビジネスなのですから、クレジットカード会社や消費者金融を批判する意図はいっさいありません。しかしまったく悪意がなかったとしても、ビッグデータをAI(人工知能)に分析させれば、金融リテラシーが低い人が最適な顧客ターゲットとして抽出されるでしょう。こうして、知識社会において経済格差は拡大していくのです。
――知識社会の高度化は、多くの人が肌で感じていることかもしれません。そんな社会を強く生き抜くために、知識を身に着ける手段として、今回ご紹介いただいたような硬派な本を読む価値をどうお考えになりますか?
橘:情報を得るやり方って、人それぞれだと思います。ただ、私がTwitterをやっていて思うのは、「140文字で説明してよ」という風潮があること。結論だけ言うなら140文字でいいんです。「この株を買えば儲かる」なら数十文字で済みますから。
良書とは「人間が抱える問題を解決してくれる本」
――確かにそうですね。SNSに求められているのは、簡潔な情報と結論という気がします。
橘:でも、その情報をどこまで信じられるかという問題が出てきますよね。正しいかどうかを自分の頭で判断するには、その背景にあるロジックを理解しなければなりません。「この人はこう言っているけど、別の人は違うこと言っている」となれば、さらに多くの検討材料が必要になるでしょう。事実に基づいたロジックがないと、結局はいろいろな情報に振り回されるだけになってしまいます。
資産運用について真剣に考えるなら、ファイナンス理論の基礎を理解しておくことは大前提です。たとえ硬派な内容でも、理論をきちんと解説してある本を読むことで、納得感のある投資戦略を見つける手助けになるはずです。
――ちなみに、橘さんがお考えになる良書とは、どういったものなのかを教えてください。
橘:エンタメや専門書も含めて、良書とは「人生の役に立つもの」だと思います。とりわけ実用書では、投資の本でも、ダイエット本でも、なんらかの問題を抱えている人が、それを解決して人生をポジティブなものにしたいから、本を読もうと思うわけですよね。問題も解決法も人それぞれなのだから、ある人にとっては良書でも、別の人には全然響かなかったということもあると思います。
――では、自分にとっての良書に出会うためにはどうしたらいいでしょうか?
橘:たくさん読むのが正攻法ではないでしょうか。ちなみに日本の人口は1億2000万ですが、100万部売れれば大ベストセラーです。つまり全人口の1%。ここからわかるように、じつは本を読む人はそんなに多くないんです。
お金でも人間関係でも、あるいは健康問題でも、解決したい問題があるときに、書店に行って関連する棚を探して、1000円とか2000円払って本を買って読む人は、せいぜい5%くらいしかいない。こういう記事を読むのは読書家でしょうから、みんな自分と同じだと思っているかもしれませんが、これは誤解です。
全国16歳以上の男女を対象にした、文化庁の『国語に関する世論調査』(2019年)では、およそ半分(47.3%)が1カ月で1冊も本を読まず、37.6%が1、2冊で、合わせて84.9%になります。その一方で、月に5冊以上本を読むのは6.4%で、これが日本社会のエリート(知識層)でしょう。
知識社会化で情報弱者にならないためには、ジャンルにとらわれずいろんな分野の本を読むといいですね。読書のいちばんの楽しみは、思わぬところで知識と知識がつながって、なるほどと腑に落ちることですから。そうやって世界がどんどん広がっていくところにこそ、読書の醍醐味があるんだと思います。
(末吉陽子/やじろべえ)