東証市場再編

全国上場会社の旅

【山形県】おいしく安全安心な食を、時代に合わせて。コンビーフ国内首位メーカーの多彩な顔

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※この記事はJPX「新市場区分特設サイト」上で2022年3月7日に掲載した記事の再掲載です。

日東ベスト株式会社
代表取締役社長 塚田莊一郎

おいしく安全安心な食を、時代に合わせて。
コンビーフ国内首位メーカーの多彩な顔
―山形県― 日東ベスト株式会社

その道に通じた誰もが認めるトップ企業は、意外な分野でも数多く存在します。例えば、業務用冷凍食品などを製造販売する日東ベスト株式会社(山形県寒河江市)は、コンビーフの「日本初」かつ「国内首位」のメーカーとして、知る人ぞ知る存在です。地域の特産品を生かし、また戦後日本の歴史を体現するように成長してきた同社の歴史と、多様な食のニーズに応える事業のこれからについて、代表取締役社長の塚田莊一郎さんに伺いました。

選択肢を増やす“黒子役”。主力は業務用の冷凍食品

――国内製造のコンビーフのうち、約7割を占めるトップメーカーとのことで驚きました。

塚田社長 意外な数字かもしれませんが、私たちが作っている缶詰では、自社ブランドよりもOEM(他社ブランド品の製造)のほうが圧倒的に多く、その代表例がコンビーフです。日本では現在、コンビーフの代表的なブランドが3つありますが、当社はこのうち、最も歴史が長い「ノザキのコンビーフ」を含む2ブランドの製造を担当しています。

ノザキのコンビーフは1948(昭和23)年、商社の野崎産業株式会社(現在の川商フーズ株式会社)が初の国産品として、まず瓶詰めで発売しました。私たちはその頃からのお付き合いで、つまり「国内初のコンビーフメーカー」ということになります。

瓶詰め発売から2年後に登場した台形の「枕缶」は、付属の巻き取り鍵で開ける方式で親しまれてきましたが、海外にある製罐設備の老朽化に伴って2020年、アルミック容器に貼られたフィルムを開封するタイプにリニューアルし、再び注目をいただいています。

――鍵で巻き取って開けた缶詰が懐かしいという人も多そうです。自社ブランドの商品には、どのようなものがありますか。

塚田社長 売上の8割近くを占める冷凍食品については、ハンバーグやとんかつ、牛丼の素、ケーキなど、ほぼ全てを自社ブランドで提供しています。直近で好調なのは「学校給食向けの冷凍ハンバーグ」。中でも、アレルギー対応しやすい小麦粉不使用タイプが人気で、限られた条件の中で子どもたちのさまざまな事情に配慮しなければならない栄養士の方々から、高い評価をいただいています。

当社の業務用冷凍食品は、数十個入りの大きなパックが多く、メインの流通経路も一般消費者向けとは異なります。ただ近年は業務用食材を扱うスーパー、また一般のスーパーでも「プロユースのこだわり商品」として、日東ベストブランドの商品が棚に並ぶようになりました。特にコロナ禍以降はご家庭での冷凍食品の需要が高まり、業務用商品も取り混ぜながら品揃えを充実させる小売店が増えたように感じます。

長期保存が利く冷凍食品や缶詰、レトルト食品のほか、日配品と呼ばれる弁当・サンドイッチ・おにぎり・惣菜などの製造もグループ会社の株式会社爽健亭で手がけています。こちらも堅調に推移しており、スーパーなどの店頭でご覧になる機会があるかもしれません。

――バラエティー豊かな“食”を提供されているのですね。

塚田社長 食を提供する会社の個性も、同様にさまざまです。主に業務用と他社ブランドの商品を手がける私たちは、一般の方にもなじみ深い市販品主体の食品メーカーや、小売・外食チェーンなどとは異なり、どちらかといえば”黒子役”の存在だと思っています。

また冷凍食品は、凍結技術の進化などによって味と食感を確実に向上させてきましたが、一方では品質のほか「お店でこねて焼く手作りハンバーグ」といった価値、イメージが喜ばれる面もあります。じっくり手間をかけた手作りは、確かに素晴らしい。でもそれが間に合わないときは、早くておいしい冷凍食品があります。外食産業では「冷凍食品なしには絶対回らない」というシーンも、今日では決して珍しいものではありません。

TPOによって最適な食を選べるのが豊かな暮らしであり、消費者の選択肢を増やすことに見えないところで貢献している点に、当社ならではの価値があると考えています。

“果物王国”山形で培われた食品加工の技術

――ところで、山形県寒河江市の本社には、建築史に残る建物があるそうですね。

塚田社長 現在の本社工場の一部を、国立新美術館などで知られる建築家・黒川紀章が、キャリアの最初期である1964(昭和39)年に設計しました。いまもソーセージを生産する、現役の工場です。

その後有名になった「メタボリズム」というコンセプトの設計だそうで、航空写真で上から見ると、正方形のユニットを縦横に連結した構造が分かります。「世界的建築家の原点がうかがえる」と、コロナ禍前までは海外からも学生が見学に訪れていました。黒川紀章の代表作のひとつとして登録有形文化財になった寒河江市役所庁舎(1967年完成)も、この工場がきっかけで建設が実現したそうです。

新進気鋭の若手建築家を抜擢したのは、当社の創業者である内田一郎でした。1970(昭和45)年、当時社長だった創業者は「いずれ台所から包丁とまな板が消える」との持論を持っており、前年には事業所内保育所である「日東ベスト保育園」をいち早く開設していました。ライフスタイルと食文化が変化していく中、数十年先の社会を正しく見通していた慧眼を、いまも尊敬しています。

――取り扱う商品にも変化がありましたか。

塚田社長 主力となる商品は、時代に合わせて変わってきました。戦前、そして戦後しばらくは「輸出用の果物の缶詰」が柱でした。寒河江は明治時代からサクランボが特産品で、1932(昭和12)年に横浜で創業した当社の前身「日東食品株式会社」が寒河江に進出し、1940(昭和15)年に寒河江に本拠を移したのも、「産地に近いところでチェリー缶の工場を」と、地元から誘致を受けたのがきっかけでした。

サクランボは、夏の限られた時季しか収穫できません。なるべく通年で缶詰工場を稼働させるため、秋までがシーズンの黄桃や、もっと遅いナメコなどをラインアップに加え、さらに年じゅう手に入る畜肉が原料のコンビーフも手がけるようになりました。

その後、1973(昭和48)年から変動相場制に移行した為替レートは円高が進み、輸出品としての缶詰の強みは失われていきました。それと入れ替わるように伸びたのが、現在私たちが主力とする冷凍食品です。

商品開発と試験販売を始めた1968(昭和43)年は、その4年前の東京オリンピックで選手村の食事に採用されたのを機に、業務用冷凍食品の普及が本格化した時期でした。以来「この分野で自社ブランドを確立したい」という創業者の思いと、円高や関税引き下げで身近になった輸入肉、そして外食産業をはじめとする市場のニーズに支えられて事業を成長させてきたのが、大まかな当社の歴史です。変動相場制が導入された前後には、“本籍地”である山形のほか、千葉県船橋市にも工場と営業拠点を構えました。冷凍食品の増産と、最大の消費地である首都圏への営業強化を目的としたもので、今日まで続く本部機能の2拠点体制の始まりとなりました。

――山形といえば、西洋ナシの一種である「ラ・フランス」も有名です。

塚田社長 当社はデザートも手掛けており、出荷量で全国の8割を占める山形のラ・フランスを使ったゼリーも生産しています。ただ、果実の生食以外でも生かそうと、食品加工が専門の私たちはさまざまな可能性を探ってきました。

2005年には県の工業技術センターによる開発結果と、当社が持つパウダー化のノウハウを融合し、焼き菓子でも香りが楽しめる「ラ・フランスパウダー」の製造に成功しました。2012年からはさらに、ラ・フランスの枝から抽出したエキスを配合したクリームや化粧水などの基礎化粧品「Franus Branche(フラナス ブランシュ)」を製造販売しています。

しみ、そばかすの防止効果が認められている「アルブチン」という成分があるのですが、当社と山形大学の共同研究で、このアルブチンが、毎年費用をかけてラ・フランス農家が処分している剪定(せんてい)後の枝に多く含まれていることが判明しました。そこで私たちは、農家の方々からラ・フランスの枝を買い取り、抽出したエキスを化粧品の原料とした上で、抽出後の枝を堆肥に変えて畑にお返しする“循環型”のシステムを確立しました。

食品加工技術をもとにした高純度の天然アルブチン抽出法では特許を取得しており、化粧品の売上の一部を環境保全活動に充てる取り組みでは、県からの表彰もいただきました。

「イメージを具現化する」開発力でニーズに応える

――さきほどのお話にもありましたが、食品業界はコロナ禍の影響も大きかったと思います。現況はいかがでしょうか。

塚田社長 主力が業務用ですので、外出自粛や在宅勤務の増加は逆風でした。小売向けの販路が広がったプラスの面もありましたが、それ以上に外食や事業所給食、仕出し向けの需要が落ち込みました。

営業のハードルも高くなりました。ご試食いただくところからのスタートなので、以前は持参したサンプルでテーブルを囲みながらご提案していたところ、直接対面が難しい状況となったためです。調理したものを受付にお届けした後、電話をして試食いただくといった工夫で、社員が日々努力を続けていますが、コロナ禍が終息しても多くの企業は在宅勤務を続けるとみており、事業所給食向けなどの需要は、以前の水準まで戻らないことも想定しています。

――そうした中、これから力を入れていく分野についても伺えますか。

塚田社長 病院や高齢者施設向けの加工食品が好調で、シェアも伸ばしています。さらに進む高齢化でニーズが高まることも踏まえ、「食べやすさ」に配慮した商品づくりに一層注力していきたいと考えています。

この分野では、強く噛まなくても食べられる軟らかさと、しっかり食べたという満足感を両立させることが求められます。バランスが難しいのですが、何か特別な方法で一気に解決するというよりは、既に知られている食材の性質と加工法をうまく組み合わせ、狙い通りの食感に仕上げる「イメージを具現化する力」が重要となります。私たちは長年、さまざまな食材を缶詰・冷凍・レトルトなど幅広い加工法で扱ってきたので、そこでの蓄積が強みになると考えています。

――時代に合わせた商品も、積み重ねの中から生まれるのですね。

塚田社長 はい。食品の原点である「おいしさ」と「安全・安心」に徹底してこだわり、高い品質にご満足いただくことが、最終的に全てのステークホルダーのご期待に応えることにつながると信じています。

そうした姿勢を内外に示す意味で、美味しさを担う「開発本部」と安全・安心を担う「品質保証本部」の2本部を新設しました。特に品質保証本部では常に精度の高い食品表示を実現するため、専門の担当者を増員しています。

事業以外でもリニューアルを進めています。例えば、現在8拠点が集まる山形に愛着を持つ社員が多いことや、介護などの事情で地元を離れられない社員のために、転勤を前提としない専門職の制度を新設し、人事評価の方法も改める計画です。

「日東ベストという会社があってよかった」と多くの方に言っていただけるよう、当社ならではのノウハウを担う社員が安心し、できるだけ長く力を発揮できる環境をつくっていくつもりです。

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