経済学者・赤林英夫教授に聞く「教育経済学」が社会に与える影響 ~前編~

慶應・赤林教授「質の高い教育を施すことが“経済活動の活性化”につながる」

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教育の費用や成果について、経済学の観点から分析していく「教育経済学」。その重要性が、日本でも話題になり始めている。ただ、“教育”と“経済”という2つのワードが、あまり結び付かないと感じる人もいるだろう。

そこで、慶應義塾大学で“教育と家族の経済学”の研究を行っている赤林英夫教授に、「教育経済学」からわかることについて、教えてもらった。

経済成長を促すカギが“労働者の質=教育の質”


「教育は、経済活動を支える柱のひとつ」という観点から、教育経済学は始まっているという。

「経済活動には、モノを生産したり買ったり、働いたりと、いろいろな側面がありますが、その活動において教育の役割は大きいのではないかと考えた経済学者がいたのです。実際に研究してみると、やはり教育の役割が多大であることがわかり、そこに特化した分野として教育経済学ができました」

経済活動における教育の役割とは、労働者の質を高めることにあると考えられているそう。

「各国の経済成長は、資源の有無や資本の蓄積など、さまざまな要素が影響していると考えられているのですが、そのひとつに労働者の質があります。では、労働者の質は何で決まるのでしょうか。統計などを調べていくと、教育が質を高め、経済成長に寄与していることが少しずつわかってきたのです。その一例として挙げられるのが、戦後の日本の高度経済成長。日本の教育水準は、寺子屋が存在した江戸時代から非常に高く、識字率も群を抜いていました。それが戦後の成長を支えたといわれています。かつての日本は、教育経済学における成功例だったのです」

国全体で見るだけでなく、個々人の教育水準と経済活動との関連性を見ても、教育は重要だといえる。

「学力や学歴がある人の方が、平均的に労働生産性や給与水準は高いという統計があります。生産性も給与も高いということは、その人自身が経済的に豊かになるだけでなく、経済成長に寄与しているともいえるのです。現在はビッグデータが経済活動を動かす時代ですが、そのデータは自然発生するわけではなく、人の技術や知識によって生み出されるものです。そして、その背景には基礎的な学力を身に付けさせる学校がある。教育を施すことで新たな技術や知識が生まれ、経済活動に役立てられていくのです。その気付きがあり、教育経済学の重要性が高まっているのだと感じています」

個々のスキルの評価が“労働者の質”を高めていく


「かつての日本は、教育経済学における成功例だった」と話してくれたが、現在はその逆を行く国になってしまっているという。

「現在の日本は“教育水準は高いのに成長しない”という、教育経済学に当てはまらない国になってしまい、かつてとは逆の意味で世界の経済学者から注目を集めています」

その原因を研究していくなかで、「ひとつの仮説が出てきた」と、赤林教授は教えてくれた。

「特別なスキルや知識を持った人が高い所得を得ることは自然なことですが、日本はその逆にいると考えています。現在、大学院に進む日本人は減ってきていますが、その背景には、『博士課程を修了しても、良い就職先があるわけではない』という現実があるといわれます。“高学歴ワーキングプア”という言葉があるように、時間とお金をかけてスキルや知識を得ても、高い給与につながらない状況にあるといえます」

そして、スキルや知識が正当に評価されない社会は、経済成長につながらない恐れがあるとのこと。

「スキルに差があっても給与に差がつかない社会では、わざわざ努力してスキルを得ようとは思いませんよね。新たな技術や知識を生み出す人が減っていけば、ITや医薬品をはじめ、あらゆる産業の成長に貢献できる人材が減り、国の技術力や経済力は下がりかねない。新入社員の給与にほとんど差をつけない日本が、20年にわたって成長していない理由は、教育の成果を評価しない社会にあるといえるかもしれないのです」

これこそが、教育と経済を関連させて読み解いていく教育経済学の観点。教育を受けることでどのような経済価値につながるのか、お金や数字と結び付けて考えていくのだ。

「現在、各家庭の経済格差と教育格差の関連が問題視されているように、是正すべき差もあります。すべての人が一定以上の教育を身に付けられるようになれば、不要な差は減るでしょう。一方で、スキルがある人に高い給与を与えるという正しい差を設けることで、経済成長に寄与する労働者や経営者が生まれていく。そのバランスは難しく、どの国も悩んでいるところですが、これからの日本は特に取り組んでいくべきところだといえるでしょう」

無意味な教育格差を減らしながら、教育から得たスキルを正当に評価することが、経済成長につながる。その両面が、今の日本ではうまく機能していない。

「その結果として、格差が広がる一方で、社会のリーダー層が生まれないという社会の損失につながっているのだと思います。教育経済学の成功例といわれた日本が、なぜ20年間も成長できなかったのか。経済学を用いて、その原因をひとつひとつ解き明かしていくのが、日本の教育経済学者の使命だと考えています」

現在の教員不足は“需要と供給”の問題


赤林先生が行ってきた研究のひとつに、小規模学級に関するものがある。クラスの人数が減れば、その分きめ細かい教育やケアができるイメージがあるが、研究では必ずしもそうとはいえない結果が出たそう。

「私たちの研究に限らず、国内外の研究を見てみても、学級規模を小さくしたからといって、必ずしも子どもの学力の向上や心理面の改善につながるわけではないという結果が出ています。そのうえで、日本では小学校の小規模学級化を進める法律が定められたのですが、学力以外の部分でその弊害が先に出てきているようです」

2021年3月31日、1学級当たりの上限人数を35人とする法律が成立した。それまでは小学校1年生のみ35人で、小2~6年生は40人だったが、2021年4月から小2~6年生も段階的に35人に引き下げ、2025年度に全学年を35人とすることとなった。

「ここ数カ月、教育現場では“先生不足”が話題になっています。小規模学級になるということは、クラスが増え、以前よりも教員が必要になるということです。4月1日になっても学級担任が決まらず、校長や教頭が授業をもつ学校も出てきています。ただ、法律で決められた以上、先生が不足しても学級編成を変えることはできません。必要な教員数は今年から機械的に増えていき、毎年3000人ずつ新たに必要になるといわれています」

年間3000人の教員を採用しなければいけないというわけだ。教員の採用倍率が下がっていることも問題視されている今、かなり厳しい課題なのではないだろうか。

「経済学で考えると、需要と供給の問題といえます。例えば、コロナ禍で規模を縮小せざるを得ず、従業員を解雇するしかなかった飲食店は、非常事態宣言などが明けて活気が戻った際に人手不足となった際に、賃金を上げることで人材を採用できました。一方、教育現場はどうかというと、教員の数を増やすための予算は増えたものの、給与水準を上げるための予算はついていないのです。需要と供給には“価格”が大きく影響するのですが、その仕組みが働かない政策となっているため、人材が足りなくなるのは当たり前といえます」

人材不足に陥ると、どのようなデメリットが出てくるかというと、教員の質の低下だ。

「無理矢理人を増やさないといけない状況なので、場合によっては教員にふさわしくない人材を採用せざるを得ないかもしれません。たくさん採用しようとすると質が下がるのは、どの業界でも同じ。学級編成が変わって子どもの人数という意味での質が守られたとしても、結果的に教員の質が下がってしまったら逆効果です」

小規模学級の政策以外にも、現在赤林教授が研究を進めているテーマがあるという。

「コロナ禍で、教育現場のIT機器の活用が進みました。このIT化が教員の業務効率化にどれだけ寄与したか、今まさに研究を進めています。ITスキルの高い教員がいる学校は残業が少ないのか、データを集め、分析しているところです。教員の働き方の改善は、結果的に学校の生産性や子どもの学力に返ってきます。結果が公表できる段階になったら、世の中に広く伝わるように届けていきたいですね」

教育経済学とは、教育現場における政策や取り組みを数値化し、教育の質を高めることや経済成長にどれだけ影響するか、解き明かしていく学問。

「学校のなかで、人材やお金、IT機材といった資源をどう組み合わせるとすべての人がハッピーになれるか、データを用いて考えるのが我々の仕事です。また、教育の世界の方々にも、もっと経済的な視点を持ってもらいたいと思っています。そのためにも、さまざまな情報を届けていけたらと考えています」

国や自治体の教育政策を見直すきっかけとなるであろう教育経済学。後編では、日本と海外の違いや教育経済学の活用法について伺う。
(有竹亮介/verb)

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