本から開く金融入門

【三宅香帆の本から開く金融入門】

成功体験こそが、失敗の原因になる?『イノベーションのジレンマ 増補改訂版』

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「イノベーションのジレンマ」を知っていますか?

「イノベーションのジレンマ」という言葉を聞いたことがあるだろうか?

言葉だけなら、なんとなく聞いたことがある、という人もいるかもしれない。あるいは、まったくそんな言葉は知らない、という人もいるだろう。しかしどちらにせよ、本書がどんな人にとっても刺激的な内容であることは間違いない。

「イノベーションのジレンマ」とは、経営学の問題であるとともに、私たちの人生において往々にして起こりがちな出来事を指しているからだ。

そう、本書は会社経営についての専門書でありながら、会社を経営していない人々にとってもとても身近な現象を説明した本になっている。

イノベーションのジレンマとは何か。

それは、ある事業で大成功をおさめた企業が、なぜその後も「成功し続ける」ことが難しいのか? という問いへの、答えである。

ひとつの分野で成功した企業は、その成功した技術への投資を続ける。しかし多くの場合、市場はどんどん求めるものが変わっていき、ひとつの技術を欲し続けることはない。消費者は新しいものを求めているのに、企業は従来の技術をブラッシュアップすることに注力してしまう。その結果として、新しい技術を有したほかの企業にとって代わられてしまう――。

つまり、「一度成功した企業は、成功体験を踏襲しようとするがゆえに、失敗してしまう」という現象について本書は説明しているのだ。

アイドルでも、テレビでも、どこでも起こり得ること

本書の著者は、アメリカのハーバードビジネススクールの教授であるクレイトン・クリステンセン氏だ。彼はイノベーション研究の第一人者と呼ばれている。本書『イノベーションのジレンマ』で示した「破壊的イノベーションの法則」――上で述べた「なぜ業界のトップ企業は、業界のリーダーシップをとり続けることが難しいのか?」という問いへの答えだ――によって、彼はハーバードビジネススクールの看板教授になったのだという。

……と著者の経歴を語るとなんだか難しそうな本に思えるかもしれない。実際、たしかに本書はとても読みやすい本というわけではない。しかし本書で描かれていることは、たとえ経営したことのない読者であっても「あ、そういうことってあるよな、わかる」と頷くことができるのではないだろうか。

たとえば、アイドルグループ。私たちがテレビで見ているアイドルグループのなかで、ずっと第一線でい続けているグループは本当に少ない。

本書を読むと、その理由がよくわかる。なぜアイドルグループが人気であり続けることが難しいのか。それはアイドル自身の問題というよりも、少しずつ消費者が求めるコミュニケーションのあり方や、配信やテレビ放送の内容、そしてテレビ視聴者がテレビに求めるものが変化し続けているから――という説明を、本書は与えることができる。

あるいは、テレビや雑誌というメディアそのものについても同じことが言えるだろう。一度とても人気になったテレビ番組や、あるいは部数を伸ばした雑誌は、人気になってしまったがゆえに、その人気の企画を手放すことが難しい。一度成功した企画をやめるタイミングを見計らうことは、とても困難だ。そしてその困難さゆえに、視聴者や読者が求めていないものを提供してしまう。

私たちの身のまわりに、「イノベーションのジレンマ」は溢れている。

自分たちの人生にも潜む法則

そしてこの話は、ビジネスの中だけにとどまらない。

自分の人生に置き換えてみても、「あれって今考えるとイノベーションのジレンマっぽい体験だったなあ」と思うことが、誰しもある。と、私は思っている。

たとえば自分のなかで、小学生の時はうまくいっていた人間関係構築が、場所が変わって、中学生になるとどうにもうまくいかなくなる……というような経験をしたことはないだろうか。小学生の時はこういうふうにすれば友達はできる、と思っていたのに、中学生になるとともに周りの雰囲気も変わり、なんだか友達の作り方がわからなくなる、とか。

これはあくまでたとえではあるが、成功体験が他の場所では通用しなかった! という経験にショックを受けたことのある人は多いのではないだろうか。そしてその成功体験が強固であればあるほど、方向転換を難しくさせるのだ。

もちろん本書はビジネス書であり、企業の経営の本だ。そのためイノベーションのジレンマが起こる原因にも、たとえば社員の雇用の問題、意思決定の速さの問題など、個人と企業で異なるところは多い。すべて個人にも当てはまる話だと言いたいわけではない。

だが本書が指し示すところは、個人にも当てはめて考えることは大いにできる。個人の人生の参考にもなる一冊なのだ。

高い技術だけが求められているわけではない

この記事を読んでくれている方の多くは、経営に興味はあっても実際に体験したことはない、あるいは経営なんてまったく興味を持ったこともない、という方だろう。しかしそんな方にこそ読まれてほしい古典的名著だなあ、と本書を読んでみて感じた。なぜなら本書が指し示すのは、この世のとてもありふれた――しかしありふれているからこそ、回避することがとても難しい――事象だからだ。

成功体験があるがゆえに、人は、失敗してしまう。

何かを極めようとすると、「もっと高い技術を、もっと高度な体験を」と私たちは願ってしまう。しかし市場に必要とされているのは、必ずしも高い技術ではない。今存在しているものよりも低い技術のものが、革新的なイノベーションを起こすことが、往々にして、存在する。

そういうことがあるんだと知っておくだけで、私たちはまったく違った目で世界を見ることができる。

必ずしも高い技術だけが、革新をもたらすわけではない。

成功体験を積み重ねても、うまくいかないことはある。

むしろその高い技術を生み出す成功体験こそが、失敗の原因になる。

――矛盾しているようだが、それが本当によくあることなのだと、本書はさまざまな企業の事例を用いながら教えてくれる。

本書自体があなたにとって、必ずや革命的な一冊になってくれることを、私は約束したい。

著者/ライター
三宅 香帆
京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程退学。会社員生活を経て、現在は文筆家・書評家として活動中。 著書に『人生を狂わす名著50』『文芸オタクの私が教える バズる文章教室』などがある。近著『推しの素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しかでてこない 自分の言葉でつくるオタク文章術』が23年6月発売。今年フリーランスになったことをきっかけに、お金の勉強を始めている。

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