日本経済Re Think

良い経営者が残る環境がこの国に生まれつつある

「人手不足が生む“規律”は健全な企業競争を育む」楠木建氏が考える日本の追い風

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この国の市場や経済に成長可能性はあるのか、いわば“日本の未来”を有識者が占う連載「日本経済Re Think」。今回お話を聞いたのは、一橋ビジネススクール PDS寄付講座 競争戦略特任教授の楠木建氏だ。

ベストセラーとなった『ストーリーとしての競争戦略―優れた戦略の条件―』(東洋経済新報社)をはじめ、企業がどう競争を勝ち抜くかという「競争戦略」の専門家として知られる楠木氏。同氏はこれからの日本について、企業経営の質が高まりやすい環境になっていくと考える。たとえば深刻化する人手不足も、その流れを加速させる追い風になるという。一体どういう意味なのか。楠木氏に聞いた。

日本の環境が良くなった要因は「経営者への規律が強まっているから」


なぜ日本はこれから、企業経営の質が高まりやすい環境になっていくと考えるのだろうか。楠木氏は「いよいよ経営の質で成果が左右されるという当たり前の時代になり、ステイクホルダーから経営の質が厳しく問われているからです」と説明する。

「近年、日本では良い経営者が正当に評価され、そうでない経営者は厳しく見られるようになってきました。いわば経営者に対する“規律”が強まってきたといえます。まずこの10~15年で、資本市場からの規律、つまり投資家からの規律が強くなりました。企業のPBR(株価純資産倍率)に注目が集まったのはわかりやすい例ですし、それ以外にも経営者に意見するアクティビスト投資家が増え、経営者もそれに向き合う必要性が高まっています。経営者に対する投資家の評価が厳格になっているのです」

そしてもうひとつ、日本は人手不足によって労働市場からの規律も強まっているという。

「働き手が少ない売り手市場の中では、適切な経営をしていないと、働く場所として労働者に選ばれません。単に働きやすいだけでなく、企業が価値を作り、それを従業員にきちんと分配する経営をしないと、誰も働きに来てくれない状況が起きてしまうのです。経営の質を高めるという意味においては、人手不足は圧倒的にプラスです」

かつての日本では労働市場の規律が緩く、低い賃金でも働き手を確保できる状況があった。それが企業の経営を「緩慢にさせてきた」と楠木氏。だからこそ、人手不足によって結果的に労働者が企業それぞれの経営を評価するのは良いことだと考えている。

「逆に言えば、これらの流れを国の政策などで安易に止めてしまうのは大きなリスクでしょう。もちろんケースにもよりますが、たとえば長期利益を出せていない企業、あるいは労働者に選ばれない企業を支援して無理に存続させると、全体的な経営の質が上がらなくなる可能性もあります。人手不足をはじめ、日本にとっての“負の遺産”の解消をテコに改良を進めていくのが得策だと思いますね」

そもそも楠木氏は、企業が成長するかどうかは「簡潔に言えば経営者次第」だと考えている。だからこそ、良い経営者だけが市場に残る環境が大切になる。

「良い経営者とは、長期利益を出して企業を成長させる人です。自社が長期利益を出すための戦略を描き、独自の価値を作る。そうして多くの人々を巻き込み動かしていく。一方、利益を出すことよりも企業の“存続”が目的になっている経営者がいまだに散見されます。そういう人は論外です。すぐに経営を誰かに代わってもらった方がいい。市場の中で健全な淘汰が起きて、長期利益を上げている経営者・企業が残る状況が理想的です。その意味で、日本はようやく普通の経営環境になりつつあると言えるでしょう」

指標や発言から「良い経営者を見極めるポイント」とは


楠木氏は「良い経営者」という言葉をたびたび口にする。その定義のひとつは先述の通り「長期利益を上げること」だが、さらに詳しい意味をこう説明してくれた。

「短期的な利益は、私の考えでは経営者の評価にはつながりません。たとえば四半期(3カ月)の決算についても、円安などで一時的に利益が上がることはいくらでもありますから。やろうと思えば、従業員の給与を下げて一瞬の利益を出すことも難しくない。しかし長期利益はそうはいきません。さまざまな次元で企業が良い行いをしていることを最終的に示す指標です。長い期間にわたり、企業が資本コストを上回る利益を上げ続けているか、あるいはその利益が増え続けているか。そこを見るのが経営評価の王道です」

長期利益の見方として、楠木氏は「企業のROIC(投下資本利益率)を見るのが妥当だと思っていますが、それが面倒だという方はROE(自己資本利益率)でも構いません。基本線は分子の利益です。これらの指標が長期で高い企業は良い経営をしているといえます」と助言する。企業を分析するときは、株価の推移を見るとともに「利益の推移を見ることが重要」だと付け加える。

ちなみに、その人の思考や性格的な面で良い経営者の条件を挙げるならどのようなものがあるだろうか。そう聞くと、楠木氏は「欲のある人」だと迷いなく答える。

「つまり、長期利益を貪欲に求めるということです。あわせて、思考が明るいことも重要ではないでしょうか。個人の性格が明るいという意味ではなく、ビジネスに対する考え方が明るいこと。私はよく柳井正さん(※ファーストリテイリング代表取締役会長兼社長)を思い浮かべるのですが、彼は『ひょっとしたらこれはすごく利益が出るかもしれない』と感じると、その『ひょっとしたら』を信じて何かを始めます。『絶対にうまくいくのか』などとは問わない。ビジネスはリスクを取らなければリターンは得られません。こういう明るい考え方が大切ではないでしょうか」

これらに加えて、さまざまな意見をシンプルに、はっきりと言えることも良い経営者の条件だと楠木氏。経営者のインタビューや会見を見るときは、そんなところに気を配るのも面白いかもしれない。

最後に、近年はアメリカと日本の企業を比較して、日本の憂いを嘆く場面もよく見られる。そんな声に対して、楠木氏はこんな意見を述べる。

「人間は遠いものほど良く見えます。もちろんこの何年でアメリカの方が上場企業の企業価値ははるかに上がっていますし、大企業も出ています。しかし、当然ながらアメリカにある企業のすべてが成功しているわけではありません。シリコンバレーにも経営がうまくいかない会社は山ほどありますし、反対に日本にも良い企業はたくさん見つかる。結局は個別の企業次第、経営者次第です。アメリカは……、日本は……と実態のない主語にとらわれず、ひとつひとつの企業を個別に見ていくことが重要です」

経営者に対する規律が高まる中で、質の高い経営をする企業、経営者が正当に評価され生き残る環境に近づいていく。人手不足という日本が抱える課題は、決して“負の要素”だけのものではない。むしろ企業の経営を洗練させる歯車になるかもしれない。

(取材・文/有井太郎 撮影/森カズシゲ)

※記事の内容は2023年12月現在の情報です

お話を伺った方
楠木 建
学者、一橋ビジネススクールPDS寄付講座競争戦略特任教授
専攻は競争戦略。企業が持続的な競争優位を構築する論理について研究している。一橋大学大学院商学研究科修士課程修了。一橋大学商学部専任講師、同助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋ビジネススクール教授を経て2023年から現職。著書として『経営読書記録(表・裏)』(2023年、日本経済新聞出版)、『絶対悲観主義』(2022年,講談社+α新書)、『逆・タイムマシン経営論』(2020年,日経BP,共著)、『ストーリーとしての競争戦略』(2010年,東洋経済新報社)などがある。
著者/ライター
有井 太郎
ビジネストレンドや経済・金融系の記事を中心に、さまざまな媒体に寄稿している。企業のオウンドメディアやブランディング記事も多い。読者の抱える疑問に手が届く、地に足のついた記事を目指す。
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