100年以上前の歴史が現代の技術革新につながる

企業イノベーションのヒントが隠されている?「経済史」が私たちに教えてくれること

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お金にまつわる学問はたくさんありますが、その中には「知っているようで知らない学問」も多いのではないでしょうか。これらを詳しく理解すると、自分の家計や貯蓄、資産運用のプラスになるかもしれません。

そんな考えのもと、取材を通してお金にまつわる学問を深掘りする本連載。今回のテーマは「経済史」です。お話を聞いたのは、東京大学大学院経済学研究科の岡崎哲二教授。『経済史・経営史研究入門―基本文献,理論的枠組みと史料調査・データ分析の方法』(有斐閣)などの著書にも携わった岡崎さんに、経済史の実像や魅力を尋ねました。

日本こそ「経済史の面白さが詰まった国」

――岡崎先生は40年近く経済史を研究されていますが、どんなところにこの学問の面白さや意義を感じますか?

岡崎 経済というのは、時代ごとに大きな変化が起きています。経済史は文字通り「経済の歴史を研究する学問」ですが、まさに経済が変化する過程や背景を分析するのがこの学問の面白さや意義ではないでしょうか。

たとえば日本が近代化を始めたのは明治維新の後、1870年代頃です。それから現在までの約150年間に、日本の1人当たり実質GDPは30倍以上になりました。当初はイギリスの4分の1ほどだったのが、現在はほぼ同じ水準になっています。国の産業構造も農業中心からサービス業や製造業中心へと様変わりしました。

これは150年の変化ですが、数十年単位で見ても日本の経済は姿を変えています。1980年代に大きな成長を遂げて経済大国となりながら、その後は「失われた30年」と呼ばれる厳しい時代に入りました。さらに数年単位で見ても、何年か前にはデフレに苦しんでいた日本が、現在はインフレや物価高に直面しています。150年単位から数年単位まで、さまざまなタイムスパンで経済は目まぐるしく変わるのです。

――そういった経済の歴史を学ぶことに面白さがあると。

岡崎 経済史は産業革命や大恐慌のような大きな事象を扱う研究から、個別企業の歴史を分析するものまでさまざまにあります。それは人類の成功と失敗の歴史の宝庫であり、さまざまなヒントがあるでしょう。

特に過去の失敗や挫折から学ぶことは多々あります。例として神戸の一商社だった鈴木商店は、第一次世界大戦を機に急成長を遂げ、さまざまな産業に投資して三井財閥・三菱財閥と肩を並べるほどのコングロマリット(多業種にまたがる巨大企業)へと変貌しました。しかし大戦が終わると投資先が苦境に陥り、経営破綻にまで追い込まれてしまったのです。

成功は長く語り継がれますが、その裏にある失敗や影の部分は得てして語り継がれず時代に埋もれてしまいます。そこから私たちが学ぶべきことはたくさんあるでしょう。経済史は光と影の両方を知ることができ、未来に活かせるものなのです。

最近人気の研究は「今の日本企業に必要なテーマ」

――経済史の研究というのは、具体的にどのようなことを行うのでしょうか。

岡崎 ある過去の事象に対して、資料を読み解きながら背景や他の事象との関係を考察するのが基本的な研究アプローチです。経済史は歴史学の一部ですから、政治史や文化史、美術史などの研究と共通する部分も多いでしょう。

ただし経済史の特色として、歴史をひもとくために使えるツールの多いことが挙げられます。たとえば経済の分野ではさまざまなものを定量的に計ることができます。統計学や計量経済学などにより、さまざまな角度から数字で分析できるので、その推移や変化をもとに歴史を客観的に捉えやすいといえます。

――具体的な経済史の研究事例も伺えればと思います。とりわけ近年人気の研究テーマなどはあるのでしょうか?

岡崎 最近は企業のイノベーションに関する研究が盛んになっていますね。日本経済の停滞が叫ばれるなか、多くの人がイノベーションを起こす仕組みに関心を持っています。手前味噌ですが、私もかつて企業がイノベーションを起こした過程や要因を研究し、論文で発表したことがあります。

――どのような研究だったのでしょう?

岡崎 19世紀末、日本の工業化を牽引したのが紡績業などの繊維工業です。さまざまな企業がこれまでにない品質の糸や繊維を作り、その生産を軌道に乗せようとチャレンジしました。まさにイノベーションへの挑戦です。そうして実際に成功した企業が大きく成長していったのです。

ではイノベーションに成功した企業とそうでない企業の差はどこにあるのか。その点に着目し、各社の歴史を分析していきました。当時の生産記録や社内資料を集め、各社の環境やイノベーションを起こすまでのプロセスを比較したのです。

イノベーション成功企業に見られた「プロセス」と「人材」の特徴

――どんなことがわかったのでしょうか?

岡崎 一つの論点として、イノベーションに成功した企業の生産記録を見ると、決して一気に技術が進化したのではなく、少し進んでは立ち止まり、また進んでは立ち止まりという試行錯誤のプロセスが繰り返されていることがわかりました。たとえば紡績業ではどれだけ細い糸を作るかが技術の高さを表す一指標になります。各社がどの時期にどれだけの細い糸を作ったかというデータを分析すると、2、3ヶ月で生産して、またしばらく止まってという繰り返しが多く見られたのです。

もうひとつわかったこととして、成功した企業の多くは、当時高学歴であり希少だった大学卒・高等工業学校卒の人材が多数在籍していました。人材の要素もイノベーションに関係していたことが見えたのです。

――過去の歴史からイノベーションにつながる要素が浮かんできたということですね。

岡崎 さらに重要なのは、それらのイノベーションで培った技術を他の製品や事業に横展開した企業がより大きな成長を遂げていったことです。新技術の「スピルオーバー効果」と言いますが、紡績から自動車産業に広げたトヨタグループはその代表でしょう。イノベーションは起こすだけでなく横展開することで本当の成果につながることは歴史からもわかるのです。

かつて本田宗一郎(本田技研工業の創業者)は「F1は走る実験室」だと表現しました。F1という極限の世界で培った技術を大衆車へと応用していく。そういった意味の「実験室」であり、これも横展開に通じる考え方です。経営者の哲学にも通じてくるものといえます。

――日本や世界の経済といった大きな対象だけでなく、企業の経営や在り方を考える上でも、経済史に学ぶ重要性は高そうですね。

岡崎 経済にはバブルや一時的なブームはつきものです。どうしても人は良い方向にばかり物事を考えてしまいますが、冷静に見ることが何より大切でしょう。冷静に見るとは、過去を見ることです。いいときだけではない、悪い方向に動いたケースを振り返るのも必要です。いまはインターネットやChat GPTでもさまざまな過去の事象を調べることができますから、ぜひみなさんにも経済史に触れてほしいと思います。

(取材・文/有井太郎)

※記事の内容は2024年3月現在の情報です

お話を伺った方
岡崎 哲二
東京大学大学院経済学研究科教授
1958年東京生まれ。1986年に東京大学・大学院経済学研究科博士課程を修了(経済学博士)。その後、東京大学社会科学研究所助手、東京大学経済学部助教授を経て、1999年から現職。キャノングローバル戦略研究所研究主幹、日本学術会議会員、独立行政法人経済産業研究所ファカルティーフェローなども務める。
著者/ライター
有井 太郎
ビジネストレンドや経済・金融系の記事を中心に、さまざまな媒体に寄稿している。企業のオウンドメディアやブランディング記事も多い。読者の抱える疑問に手が届く、地に足のついた記事を目指す。

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