教育費の工面で悩むのは「中学受験」よりも「高校受験」
『二月の勝者』著者・高瀬志帆が見た現代の「教育環境」と「教育費」-前編-
子どもが幼稚園から大学まですべて国公立に進んだ場合、教育費はトータルで1000万円かかるといわれている。もし、私立に進むことになれば、教育費はさらに増えるというわけだ。
そんな教育費の現実を赤裸々に描写していたのが、2024年5月に完結した漫画『二月の勝者―絶対合格の教室―』(小学館)。受験塾講師や中学受験に挑戦する小学生たちを中心に、子どもを取り巻く環境や教育格差などを描いた作品だ。
『二月の勝者』の執筆にあたり、連載前から受験塾や子育て世帯への取材を行ってきたという著者・高瀬志帆さんに、現代の教育環境について伺った。
教育費で悩む理由は「高校受験のための塾代」
『二月の勝者』では主に中学受験がピックアップされていたが、実際に中学受験に挑戦している家庭は教育費をどのように捉えているのだろうか。
「私が取材をしたなかでの話ですが、中学受験を目指している親御さんに関しては、金銭的に悩んでいるという話を聞くことはほとんどありませんでした。中学受験を視野に入れる方々は、夫婦ともに一流企業に勤めていたり実家からのバックアップがあったりと、相対的に富裕層に入る方々が多い印象です」(高瀬さん・以下同)
しっかり資金計画を立てたうえで中学受験を選ぶ家庭が多く、「無計画に受験に参入して資金繰りに困った」という話は出てこなかったそう。
「『金銭的に余裕がないけど、借金してでも私立中学に入れるぞ』という話は聞いたことがありません。中学受験をする家庭が教育費に悩まされるとしたら、夫婦のどちらかが退職せざるを得ない状況になって収入が減ったり、親の介護が発生して支出が増えたりといった不測の事態に陥った場合ではないでしょうか」
一方で、教育費を捻出するのに苦労している家庭があることも事実だという。
「公立中学に進学した家庭に取材すると、高校受験を目の前にして、塾代を捻出するために母親がパートを増やしたという話はよく出てきました。高校受験のタイミングになると、教育費に関する悩みが出てくるといえそうです。特に、シングルマザーで悩んでいる方が多いように思います。出産や子育てで一度キャリアが中断されて非正規雇用で働いているうえに、配偶者との死別や離婚でシングルマザーとなってしまうと、状況は厳しいですよね」
その悩みに拍車をかけているのが、高校受験のための塾の存在とのこと。
「いまは、高校受験や大学受験のために塾に通わせるのが当たり前になっている感覚があります。難関校合格のために塾に通わせる人が増え、学校だけで受験を完結できない構造になってしまっているので、教育費も増えているように感じます。取材のなかでも、『高校受験のために志望校特訓や正月特訓を受講した。こんなにお金をかけるつもりも、子どもに無理をさせるつもりもなかったけど、そうしないと差を付けられてしまう』という話を伺いました。周りがつくり出す状況に追い込まれてしまうのだと思います」
教育に追い求めてはいけない「リターン」
なぜ「こんなつもりじゃなかった」と思いつつも、想定以上のお金をかけ、子どもに教育を施してしまうのか。高瀬さんは「リターンを求めてしまうのかもしれない」と分析する。
「親が何かを我慢して子どもの教育費を捻出すると、『これだけ努力して塾代を捻出したんだから、子どもにも結果を出してほしい』と、見返りを求めてしまうのでしょう。『ここで諦めたら後悔してしまう』という思いから、無尽蔵に教育費を注ぎ込んでしまうのかもしれません。親が子どもの受験に真剣になりすぎると、タガが外れてしまう部分があるでしょうし、子どもを追い詰めてしまうこともあると思います」
「教育投資」という言葉もあるように、教育費はどこか株式投資に近いものなのかもしれない。
「投資って、必ずリターンが返ってくるわけではないですよね。子どもの教育も同じで、コスパやリターンばかりを追い求めてはいけないんだと思います。そして、万が一受験で不合格という結果が出たら、過去のことにはとらわれずに先のことを見て動き出すことが大切ですよね。例えば、子どもが勉強に打ち込めずに結果が出せなかったのであれば、勉強以外に打ち込んでいたものに目を向け、その興味を伸ばす手助けをするのもひとつの方法ではないでしょうか」
社会全体に漂う“不安感”が進める教育過熱
親が子どもに教育費を注ぎ込んでしまう背景には、「日本の経済状況も影響しているのではないか」と、高瀬さんは話す。
「社会情勢的に不安要素が多く、生活の基盤が整っていないので、『せめて子どもは問題なく生きていけるように質の高い学習を受けさせたい』という思考につながっているのではないかと感じます。だから、子どもの教育に過度に投資してしまうのかなと」
質の高い教育を求めた結果、資金に余裕があり中学受験を選ぶ家庭がいる反面、その競争に追いつくだけで精一杯の家庭も出てきてしまうのだと考えられる。
「子どもが2人以上いる家庭の話を伺うと、『上の子が私立大学に行ってしまったら、下の子の大学進学は難しいかも』という悩みが出てくることがあります。日本の年収の中央値は約400万円弱なので、そのようなご家庭の場合、どうにもならない問題です。かつての日本は一億総中流社会と呼ばれましたが、現在は所得格差が生まれているといわれています。社会保障を分配した後の格差を見ると、世界でもトップクラスの格差となるそうです」
『二月の勝者』には中学受験塾に通う小学生とともに、無料塾に通う学生や大人も描写されている。同じ街のなかに違う世界が広がっている、まさに格差社会を描き出したかったとのこと。
「受験塾と無料塾はまったく別の世界のように見えますが、実際は地続きのものです。同じ地域の2軒隣は相対的貧困にあたる家庭かもしれない。自分の家庭も、何かしらの不幸によって困窮する可能性がないとはいえません。そこが分断されている仕組みはよくないのではないかと思い、『二月の勝者』でも描きました。生活保護をはじめとする社会保障を受けることに対して、精神的なハードルが高すぎることも、教育が過熱している背景にあると感じるところもあります」
個人が社会を動かすことはできないかもしれないが、日本社会の現状を冷静に捉えることは重要だといえるだろう。
「暮らしやすい社会を設定することは、回り回って教育費で苦しむ家庭を減らすことにつながると思います。親自身の代で社会を変えることはできないとしても、子どもと一緒に社会全体をよくする方法を考えたり話し合ったりすることで、子どもが社会人になる頃には変わっているかもしれません。社会の波に乗って勉強させるだけでなく、そういうことを家庭で話すことも大切な教育なのかなと思いますね」
子どもの将来のために教育を与えることも大切だが、その根本を考えることも大人の役割といえるだろう。後編では、教育費で困らないための考え方や本当に必要な教育について、高瀬さんに伺う。
(取材・文/有竹亮介)