本から開く金融入門

【三宅香帆の本から開く金融入門】

利益追求と道徳を企業はどうすれば両立できるのか? 渋沢栄一の教えを読む『現代語訳 論語と算盤』

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新札の顔となった渋沢栄一とは?

新札が手元にやってくると、なんとなくちょっと嬉しい。というのは私の個人的な感想なのだが、新・一万円札の顔となっているのは、渋沢栄一である。新札発行のタイミングで脚光を浴びているひとりだ。

渋沢栄一は「近代日本経済の父」と言われ、明治~大正に実業界で活躍した。彼の教えが詰まっている『論語と算盤』を読んでみると……意外にも、現代にも通じる仕事論、経済論、経営論が語られていることに驚く。

今回は、そんな渋沢栄一の『論語と算盤』の一部をわかりやすく現代語訳した本をご紹介したい。『現代語訳 論語と算盤』(渋沢栄一:著、守屋淳:訳/ちくま新書)である。

そもそも渋沢栄一とはどんな人物か。幕末に生まれた彼は、明治の世になったとき、一橋家に仕えていた。その際渡航し見物した欧州の文化や企業の実態に、彼はとても驚いたという。日本よりずっと発展していたからだ。その見学の経験をもとに、日本に帰国後、彼は官僚の職を経て実業界に入る。

その後、日本の企業設立に従事することになった。たとえば抄紙会社(現・王子製紙)、第一国立銀行(現・みずほ銀行)、帝国ホテル、札幌麦酒会社(のちのサッポロビール)、大阪紡績会社(現・東洋紡)、東京商法会議所(現・東京商工会議所)、東京証券取引所など、約480社の企業の設立や運営に携わった。驚異的な数の企業設立に携わり、日本の資本主義をつくりあげたといっても過言ではない業績を残したのだ。

そんな日本の経済の基礎をつくりあげた渋沢栄一。彼の思想の特徴は、「あくまで国を富ませ、人々を幸せにする目的で」事業をおこなっていた点である。と、『現代語訳 論語と算盤』の訳者である守屋は強調する。

つまり彼には、一族の富を増やすために事業をするのではなく、公益のために事業はあるのだという信念があったということだ。

その証として渋沢栄一は、三井家や三菱家のような財閥をつくっていないのである。

『論語と算盤』とはどういう本なのか

渋沢栄一のすごさはどこにあるのか。著者は資本主義に倫理性が必要であることを見抜いていたところにある、と語る。

要は、「算盤」――収益や利潤について考えること――だけでなく、「論語」が必要であると渋沢栄一は見抜いていた。

彼は今から百年以上前に、「資本主義」や「実業」が内包していた問題点を見抜き、その中和剤をシステムのなかに織り込もうとしたのだ。
もともと「資本主義」や「実業」とは、自分が金持ちになりたいとか、利益を増やしたいという欲望をエンジンとして前に進んでいく面がある。しかし、そのエンジンはしばしば暴走し、大きな惨事を引き起こしていく。日本に大きな傷跡を残した一九八〇年代後半からのバブル景気や、昨今の金融危機など、現代でもこの種の例は枚挙に暇がない。
 だからこそ栄一は、「実業」や「資本主義」には、暴走に歯止めをかける枠組みが必要だ、と考えていた。
 その手段が、本書のタイトルにもある『論語』だったのだ。
(「はじめに」『現代語訳 論語と算盤』)

『論語』とは、古代中国の思想家である孔子とその弟子の言葉を記録した書物である。儒教の入門書としてさまざまな国に広がった思想書となっている。つまり、『論語』とは古代中国から続く儒教の倫理を教えてくれる本なのだ。

人はどう生きるべきか、という道徳を語った『論語』。そして、利益計算するための、算盤。そのふたつが両立してはじめて、企業はいい経営をすることができるし、人は善く働くことができる。渋沢栄一はそのような思想をもっていた。

欲望と道徳を両立した経済活動のために

しかし誤解しないでほしいのが、渋沢は決して経営者の資本主義的な欲望――つまり経済活動を拡大しようとする、言ってしまえば「もっと稼ぎたい」という欲望――は否定していない。

本書の言葉を引用するならば、「わたしは常々、モノの豊かさとは、大きな欲望を抱いて経済活動を行ってやろうというくらいの気概がなければ、進展していかないものだと考えている。空虚な理論に走ったり、中身のない繁栄をよしとするような国民では、本当の成長とは無関係に終わってしまうのだ」(『現代語訳 論語と算盤』)と語る。

つまり、倫理や道徳による規律で実業を縛ろうとしているわけではない。実業の根本は欲望であることを肯定しているのだ。

しかし一方で、やはり実業の基盤に道徳があることが重要だ、ということも強く強調している。
たとえば働いたり事業を興したりするうえでもっとも大切な「常識」。それは、「智・情・意」の三つのバランスをとれている状態だという。

智とは善悪の判断がつけられるほど知識をもっていること。情とは他人の心情や苦痛を思いやることができる想像力。そして意とは、物事を最後までやり通すための強い意志。その三つの均衡がとれていることを「常識」と渋沢は呼んだ。この「智・情・意」とはまさに、孔子の説いた儒教の教えだった。

結局、欲望をもっているだけではだめなのだ。その欲望とともに、知識や想像力や精神力がないと事業はうまくいかない。

経済活動にこそ、儒教を取り入れるべきである。そしてそれは決して矛盾せず、両輪あったほうが結果的に事業はうまくいくはずだ。

渋沢はそう説くのである。

このように、欲望と道徳をどのように両立させるのか解説した点が、現代人もきっと面白く読めるのが本書の魅力だろう。

渋沢は、政治や軍事よりも実業界が国においては力をもつべきだ、と考えた。なぜなら多くの人にモノが行きわたるためには実業の力が不可欠だからだと渋沢は説く。国が富めるためには経済活動が不可欠で、しかもその経済活動が誰かひとりの私欲で動かされる、というよりも、道徳が根底にあるものでなければならない。

――現代人こそ、少し耳が痛くなってしまうような渋沢栄一の教えを、今こそむしろ読み返すべきなのかもしれない、と私は思う。

忙しいと何のために、どうやって働いていいかわからなくなるときもある。しかし渋沢はそんなときこそ道徳が重要だと述べる。

事業はただ利益を追うだけでは意味がなく、道徳を根本にもっていないといけない。そうしないと、結果的に国は富まない。――そんな渋沢栄一の教えが、新札とともに、現代の人々にたくさん届くといいのではないか。そう思わせてくれる一冊である。

渋沢栄一入門にぜひおすすめしたい。

著者/ライター
三宅 香帆
京都大学大学院人間・環境学研究科卒。会社員生活を経て、現在は文筆家・書評家として活動中。 著書に『人生を狂わす名著50』『文芸オタクの私が教える バズる文章教室』『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』などがある。フリーランスになったことをきっかけに、お金の勉強を始めている。

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