「投資のコツ」ではなく「社会情勢に対する興味」を育む授業
“社会に対する関心”を引き出す金融経済教育プログラム「Beta Investors+」
2022年4月に高校の学習指導要領が改訂され、家庭科で扱う金融経済教育の内容が拡充された。具体的には、金融商品による資産形成という視点が盛り込まれたのだ。2022年11月には、新しい資本主義実現会議にて資産所得倍増プランが決定し、第五の柱として「金融経済教育の充実」が掲げられた。
こうした変化に伴い、外部から講師を招いて金融経済教育を展開する学校も増えてきている。そのなかで注目を集め始めているのが、金融経済教育プログラム「Beta Investors+(ベータインベスターズプラス)」。投資シミュレーションアプリ「Beta Investors」を活用し、市場環境を見極める力を磨きつつ、実在する企業の分析なども行うプログラムだ。
2024年10月9日には、兵庫県神戸市の灘高等学校で「Beta Investors+」を取り入れた授業が行われた。灘高校での導入が決まった経緯や学生の反応について、「Beta Investors+」を企画・運営しているベータインテグラル株式会社の代表取締役社長・川上泰弘さんと灘高校公民科教諭の池田拓也先生に聞いた。
「マクロ経済」+「ミクロ経済」に触れる体験
授業に用いられる投資シミュレーションアプリ「Beta Investors」は、過去の株式市場をさかのぼり、実際の状況に応じた投資を体験できる「タイムマシントレード」が特徴。90秒ごとに1カ月が経過するシステムで、月ごとに投資結果を振り返りながら更新される企業情報やニュースを読み解き、ポートフォリオを変更しながら資産の増加を目指す。その結果をもとにAI投資レポートが作成され、振り返りができるようになっている。
「私はIBMでソフトウェア開発に従事した後、世界銀行グループの国際金融公社やゴールドマン・サックス証券などで働いた経験があり、ITにも金融にも携わってきました。国際金融公社時代に米・ワシントンで働いていた頃、子どもが親の職場を訪問するBring Your Kids To Work Dayがあった際に、債券を取引するゲームをつくって子どもたちに遊んでもらったんです。その評判がとてもよかったので、いずれ何かに応用できるのではないかと考えていました」(川上さん)
その末にできたのが「Beta Investors」。“マクロ経済(経済社会全体の動き)で物事を見る”というコンセプトで開発されたため、政治や経済などの動きを捉えて投資判断を行う形式のシミュレーションとなっている。
「まずは細かなテクニックよりも大きな方向感を持ってほしいという思いがあり、マクロ経済を捉え、今後の経済状況について自分の言葉で話せるようになる構成を意識しました。シミュレーション後にAI投資レポートを提示することで、シミュレーションした時代の背景や投資した銘柄についても振り返ることができるようにしています」(川上さん)
かつての「Beta Investors+」はAI投資レポートを読むまでのプログラムだったが、灘高校での授業に向けて、池田先生からひとつの提案があったという。
「池田先生から『社会を見る目を磨くのであれば、マクロ経済に加えてミクロ経済(企業などの個々の経済主体の行動の分析)を押さえることも大切ではないか』というアイデアをいただき、灘高校の授業ではカリキュラムにミクロ経済の視点を加えました。AI投資レポートを読んだ後、具体的な企業の分析を行う形にしたのです」(川上さん)
「『Beta Investors』のアプリは実際の銘柄名は伏せた状態でシミュレーションするので、政治や経済の状況をもとにマクロ経済を捉えやすくなっています。ただ、どの企業の株式を買うかというところには至っていないので、実際の企業の動きを分析してミクロ経済にも触れる部分があってもいいのかなと思いました。その両面を見ることで、より現実に近い投資判断ができると考えています」(池田先生)
現状の「Beta Investors」では米国株でシミュレーションを行うため、企業分析も米国の企業を取り上げる。SEC(米証券取引委員会)に上場企業が提出しているForm 10-k(年次報告書)をもとに、今後の活動や株式の価格を予想していく。
灘高校の授業では、航空宇宙・自動車分野の製品やサービスの製造販売を行うハネウェルを取り上げたグループがあった。過去の利益の増加率やNASAのアルテミス計画に参画していることを調べ、今後も期待できるという結論に至ったという。
金融経済教育がもたらすのは「世界経済への関心」
灘高校の授業に「Beta Investors+」が導入される以前から、池田先生は金融経済教育に積極的だったそう。
「以前は公立高校で働いていたのですが、その頃から株式学習ゲームなどを授業に取り入れていました。それぞれ工夫されていて使いやすいものも多かったのですが、『Beta Investors+』はリーマン・ショックやトランプ米大統領の就任、コロナショックなど、比較的新しい時事ニュースをもとに社会投資判断を追体験できるという点で興味が湧きました」(池田先生)
池田先生から川上さんにアポイントを取り、授業の実施につながったとのこと。授業を受けた学生たちからは、次のような感想が届いている。
「実際の企業分析をする機会はなかなかないので、授業の一環としてある企業の将来性などを調査するのは新鮮だった」
「新聞を読んだり、ニュースを見ていたりしても、株価の説明は聞き流していたので実際にあった値動きに触れられて新鮮だった」
「今回の授業を通じて、生徒たちが投資に対する興味に加え、世界で起きていることへの関心も抱いたように感じています。企業分析を行うなかでも、『アメリカでハリケーンが発生していたから、こういう影響がある』『大統領選でトランプ氏が当選したら、株価はこう変わる』という話も出て、感心しました。過去の歴史的事象をただ学ぶだけではなく、その事象による影響をシミュレーションしたり企業の動向を分析したりすることで、日頃利用しているお店や親が勤めている企業との関係も見えてきて、“社会を見る楽しさ”に気付くのだと思います」(池田先生)
投資テクニックを習得するためのプログラムではなく、世界経済の動きをつかみながら、世の中に関心を向ける効果も期待できるようだ。一方で、課題も見えてきている。
「日頃から生徒たちの金融リテラシーには、かなり幅があると感じています。家庭環境に左右される部分も大きいのだと思います。投資経験がある子もいれば、おこづかいをすべてゲームに投じてしまうような子もいます。今回の授業も参加した40人のうち、きちんと理解して楽しめていたのは半分くらいではないかと。より多くの生徒に伝わるよう、難易度を調整していく必要はあるのかなと思いますね」(池田先生)
生徒たちの反応を受け、ベータインテグラルでは早くも調整を進めているという。
「現在は米国株のみを扱っていますが、日本株も入れるように調整しています。日本株であれば国内で起こった事象も追いやすいですし、有価証券報告書などでの分析も行いやすくなります。そうなることで、理解できる子は増えていくと考えています。また、灘高校でもそうさせていただいたように、先生ごとのニーズやプログラムの実施にかけられる時間などに合わせて、プログラムの内容や難易度などは柔軟に対応させていただきます」(川上さん)
「『Beta Investors+』は前半にマクロ経済、後半にミクロ経済に触れるという構成がいいと思いました。マクロ経済を知ってからミクロ経済を読み解けるような流れになっているのは、理解しやすいと思います。生徒の金融リテラシーに合わせてシミュレーションの銘柄の数を絞ったり、Form 10-kの日本語訳を用意したりといったこともできるといいかもしれません。これから進化していくのが楽しみです」(池田先生)
金融の知識は「人生設計」にもつながる大切なもの
川上さんは「Beta Investors+」を通して、生徒たちに伝えたいことがもうひとつあるとのこと。
「授業のなかではファイナンシャル・ウェルビーイングの話もしていて、充実した人生を送るには自分のお金を複数の財布に分けることが大切だということを伝えています。生活に必要なお金の財布や緊急事態に使うための財布、余剰資金の財布などが挙げられ、投資や資産形成に関しては余剰資金の財布で行うのがいいということを話したところ、ある生徒から『株はなんとなく怖いなと思っていたのですが、余剰資金でする分にはいいかもなと思いました』という感想をいただきました」(川上さん)
「お金の話って、掘り下げていくと人生設計の話につながるんですよね。だから、金融経済教育はキャリア教育であると思っています。投資というと儲けるための術のように思う方もいるかもしれませんが、ライフプランを実現するための手立てのひとつだと考えると受け入れやすくなるでしょうし、それを学ぶためのツールが増えているので、私もどんどん活用していきたいと思っています」(池田先生)
一見シミュレーションゲームのような「Beta Investors+」だが、社会全体の経済動向と個々の企業の活動をつかむ体験ができる。今後、さまざまな学校で導入されていくのが楽しみだ。
(取材・文/有竹亮介)