移民問題をはじめ、現実世界を先取りしたテーマも
世界各地のトラブルを“地政学”で突破、漫画『紛争でしたら八田まで』の作者が大切にする俯瞰の視点
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投資の世界でよく耳にする「地政学」。その要素をふんだんに取り入れた漫画が『紛争でしたら八田まで』(モーニングで連載中)です。
主人公の八田百合は“地政学リスクコンサルタント”として、世界各地で起こる問題をその土地の歴史や文化、宗教や民族といった視点から解決していきます。作者の田素弘さんに、この作品が誕生した経緯や、自身が心がけているニュースの見方について聞いてみました。
田舎で起きる不良の抗争から「地政学」を学ぶ
――本作品では、各国で起きるさまざまなトラブルに主人公が立ち向かいます。たとえばミャンマーでは、日系企業とその現地工場スタッフの対立、最新刊(16巻)のスウェーデン編では、住宅団地で起きているクルド人をはじめとした移民との問題がテーマになっていますよね。そもそもなぜ、このような漫画のアイデアが生まれたのでしょう。
田 最初から私が「こういう作品を描きたい」と思っていたわけではないんです。編集者と打ち合わせをしている中で、きっと「この漫画家は妙に世界情勢に詳しいな」と感じられたと思うんですよね(笑)。ある時、世界を舞台にした漫画を描いてほしいと依頼されて。いくつか出したアイデアの中に、地政学リスクコンサルタントの話がありました。
連載を開始したのは2019年で、原案を出したのはその1、2年ほど前。経済メディアでは「地政学」という言葉がよく飛び交っていましたが、一般的なニュースでは少しずつ取り上げられ始めた時期でした。
――この作品の中で、とりわけ地政学の要素が分かりやすく表れているエピソードはありますか。
田 地方の不良たちの抗争を扱った話は分かりやすいと思いますね。大きなエピソードの合間に入れた“箸休め“的なストーリーでしたが。
――確かに作品内では、八田が地元・長野県の田舎町で起きたレディース暴走族の抗争に関わるエピソードがあります。でもこれがどう地政学と関わるのでしょう。
田 いわゆる縄張り争いの話ですが、その中に地政学の考え方を取り込んでいます。たとえば小さいグループが大きいグループと対峙するとき、普通に見れば後者が圧倒的に強いでしょう。
でも視点を一歩引いて、もっと広く地域を俯瞰すると、大きいグループの周囲には、他にも小さなグループがいくつか存在している。これらは完全な仲間ではないものの、この抗争に関しては利害が一致しているので連携できる。それにより大きなグループに対抗できる戦力を持てます。主人公は小さいグループが負けないよう、このような戦略を取っていきます。
これは国の外交でも行われているものです。小国はまともに大国と戦うことはできないので、利害の一致する国を探し、外交を結んでいく。もともと地政学は戦争から始まった学問であり、その考えを不良の抗争に活用したのです。
ウクライナ侵攻も「俯瞰」で捉え方が変わる
――田さんにとって、地政学の面白さはどこにあると思いますか。
田 地理や歴史、文化、経済などがすべてリンクしていて、それらを俯瞰で見ていくので、点と点がつながる瞬間があります。ここが面白いのではないでしょうか。
ロシアのウクライナ侵攻も同様です。視座を高くしてみると、なぜこういった事態に至ったのか、その捉え方が変わるかもしれません
――どういうことでしょう。
田 まず地理的に見ると、ウクライナはロシアと西欧列強国を挟んだ場所にあり、大きな勢力がぶつかり合う重要なエリアだと分かります。
さらに歴史を見ると、ロシアはつねに自国の南方への侵攻を繰り返してきました。なぜなら、冬場になると北側を中心に海が凍るため、他の海路を確保しなければならないからです。その際、ウクライナはちょうどロシアが求める方面に当たるんですね。
こういうことを知ると、仮にプーチンが突然思い立って始めただけだと感じていた人も、印象が変わるのではないでしょうか。
――そもそも田さんはどうやって、地政学や世界情勢に詳しくなったのですか。
田 本を読む中で知識を蓄えていきましたね。私はとにかく読書が好きで、大げさでなく、近くの書店の本を端から読み尽くしてしまうタイプです。
その中でもきっかけになったのは、社会学者・小室直樹さんの著書との出合いでした。地政学という言葉は使われていませんでしたが、まさにそのエッセンスが凝縮されていましたね。
特に印象的だったのは、当時まだ大国だったソ連の崩壊を予見した『ソビエト帝国の崩壊 瀕死のクマが世界であがく』(光文社)です。これらを含め、さまざまな本を熟読していきました。
今もストーリーを考える時は、書物や世に出ている情報を丹念に調べています。また、その国の方や精通している方へのインタビューもしていますね。下調べのボリュームが相当多い作品なので、コスパはかなり悪いかもしれません(笑)。
家計や日々の買い物にも、地政学は役立つ
――投資を行う人にとっては、地政学を理解することが重要な時代になっています。日々のニュースをどのように見ればいいのでしょうか。
田 やはり俯瞰の視点を大切にすることだと思います。そのためには、ひとつのニュースに対して「なぜ」を積み重ね、その疑問を調べることではないでしょうか。
作品で取り上げている移民問題でいえば、移民が起こすトラブルのニュースを見て終わるのではなく、そもそもなぜ移民が母国を出てきたのか、なぜその地域に多く移ってきたのかを追究するなど。
ただし気をつけてほしいのは、今は何かを調べると、信ぴょう性の高いものから低いものまで、さまざまな情報が出てきます。これらは発信者のバイアスがつきものですから、必ず誰の発信かを確認することが大切でしょう。加えて、情報の根拠となるデータがあるかをチェックすることも重要です。
投資はもちろん、家計にも地政学はつながります。たとえばウクライナ侵攻が始まった時、日本の物価が上がったのは記憶に新しいところですよね。ロシアは資源大国であることから、小麦などの原料やエネルギーの燃料に大きな影響が出たのです。
こういう知識は、日々の買い物をはじめ、いろいろな場面に役立つのではないでしょうか。
(取材・文/有井太郎 撮影/森カズシゲ)
1976年生まれ。東京都出身。アパレル、広告、webデザイン・ディレクション業を経て30代後半で脱サラ。『定時退社でライフルシュート』で「第1回THE GATE」一色まこと賞受賞。初連載『紛争でしたら八田まで』を43歳で開始。