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第1回 アパレル大手三陽商会大江伸治社長が語る、危機からの脱出とIR部創設

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「ミッションがあるからやる」。70代の今も迷いはないという。2020年、4期連続の営業赤字に陥った三陽商会の舵取りを託された大江伸治社長は、三井物産での長いキャリア、ゴールドウインでの業績改善という輝かしい経歴の持ち主だ。その実務の蓄積をもとに、旗を振り、業績を復活させた。そのなかで、市場でも注目される三陽商会IR部が誕生したのだ。

三陽商会は、ポール・スチュアート、マッキントッシュ ロンドンといった名だたるブランドを有するアパレル企業だ。大江伸治社長は、華やかな経歴を誇示するタイプではないが、仕事の“骨”を掴んだ人間に特有の、無駄のない言葉を選ぶ。

「最後の仕事になるかもしれない。でも、ここで自分の経験が生きるなら、やるべきだと思ったんです」

2020年の就任からほどなく、世界はコロナ禍に包まれた。予定調和はすべて吹き飛び、店はシャッターを下ろし、サプライチェーンは停止し、将来の見通しも瓦解した。

コロナ禍でオンライン接客に臨むポール・スチュアート青山本店

「想定外でした。けれど振り返ると、あの非常事態が構造改革を一気に進める“劇薬効果”にもなりました。危機は、見たくない現実を否応なく直視させてくれるんです」

大江社長は肩をすくめるように笑うが、当時の緊張感を言葉の端々ににじませる。その裏側で、決断の速度は明らかに上がっていた。

構造改革の原点――「3つのゲーム」理論

大江社長によると、アパレル事業とは3つの複合ゲームだという。

「ひとつは新しい価値を生む“クリエーションゲーム”。2つ目は収益を確保する“コストマネジメントゲーム”。3つ目が不確実性を扱う“リスクマネジメントゲーム”。3つ全部に勝たないと利益は出ません。三陽商会はクリエイティビティが高い。そこは誇っていい。ただ、コストとリスクのマネジメントが甘かったのです。だから、創造力が収益に直結しない。ここを締め直すのが私の役目だと思いました」

改革の第一手は、象徴的であり現実的でもあった。売上計画を“実力ベース”に落とすことだ。

「当時の計画値は約700億円。けれど、実態に合わない背伸びは組織を疲弊させるだけです。いったん400億円台に引き下げ、その水準で損益を均衡させる体質をつくる。ここからやり直す、と腹を括りました」

机上の数式ではなく、店舗現場の呼吸、ものづくりのリードタイム、販売と在庫の連動。すべてを一本に束ねて“整える”。そのやり直しは、当然のように痛みを伴った。

数字で腹に落とす。改革と対話の現場

「原価率と販管費に上限を設けました。希望退職も募り、人件費は30〜35%削減。数字だけを見ると冷酷に見えるかもしれません。けれど、未来を残すために、今の組織を変える。そこから逃げるわけにはいきませんでした」

商品企画に対する思想も変えた。品番の数は半減に近い水準まで絞り、仕入れは許可制にして総量のおよそ40%をカットした。

サンヨーソーイング 青森ファクトリー

「“もしかすると売れるかもしれない”という在庫は資金をむしばむ。数字で見える化すると、納得感が全然違うわけです」

痛みは現場の誇りとぶつかる。しかしだからこそ、対話の密度も上がる。改革は一方的に“通達する”より、事実とロジックで“腹落ちさせる”ほうが速い。大江社長のやり方は徹底していた。

プライム市場を選んだのは、覚悟を示すため

ビジネスモデルの構造改革を進めるなか、三陽商会はプライム市場にとどまることを選んだ。

「厳しい基準をあえて選ぶ。経営の緊張感が保たれ、企業価値を押し上げるモチベーションになるはずです」

投資家・株主・取引先にとっても、プライム上場は心理的な信頼の物差しだ。そして逃げ道を残さないための覚悟表明だった。基準に合わせるのではなく、基準を使って会社を強くする。そこに“攻め”の意志が覗く。IR部設立に行き着くのは自然だった。

IRは「経営の仕組み」。2人から始まった挑戦

「上場企業にとってIRは“基幹業務”です。会社は株主の所有物で、経営陣は負託を受けて舵を取る。ならば、会社の現状や方針を事実に基づいて報告するのは当然の責務。むしろ、専任部署がなかったこと自体が会社の瑕疵だと私は思っています」

2022年、IR部を新設した。目的は“形式的な開示”ではない。投資家・株主と相互理解を深め、企業価値の時間軸をそろえることだ。

「数字や指標は必要条件。でも、それだけでは会社の“意志”は伝わらない。私たちは何を目指し、どんな順番で資本を配分し、何をやるか、やらないのか、そのロジックを話す。対話の本質はそこです」

新設のIR部は2名の少数精鋭で走り出した。大江社長は最小構成を大きな“戦力”と捉える。

「よくやってくれています。提案も多い。私自身が啓発されることがあるくらいです」

経営者自ら前に出る。対話という責任

大江社長は“社長が話す”スタイルを徹底している。そして株主総会は儀式ではない、と捉えている。IR・SRの個別ミーティングは年間で何十回にも及び、できる限り本人が前面に立つ。

「言葉に責任が生まれますし、相手の表情や間で“本音”がわかる。こちらの説明も磨かれるわけです。株主総会は、株主と直接会話ができる唯一の場です。徹底して情報を公開し、良い意見も厳しい意見も、その場で受け止めたい」

対話は鏡だ。業績の改善とともに株価は当初から5〜6倍になり、「ここ数年で“応援しています”という言葉を多くいただくようになりました」と大江社長は言う。その一方で、遠慮のない指摘も飛ぶ。

「トップラインが鈍っていないか。もっと大胆に成長させるべきではないか。そういう声もあります。まさにそこにどう応えるかが、次のテーマです」

IR・SR・PR統合で企業価値を磨く

情報発信の基盤も磨いた。2024年、IR・SR・PRを統合して一本の背骨にしたのだ。

「事実を語るにはばかることなかれ、という原則に立てば、IRでもPRでも“核”は同じです。メッセージを一体化すれば、効率が上がるだけでなく、発信の“強度”が高まるわけです」

統合はPBR改善計画の一環でもあり、単なるIRや広報の組織再編ではなく資本市場との“翻訳機”を社内に埋め込む作業だった。開示の一貫性が高まれば、投資家は企業の内面に踏み込める。会社はそれを踏まえた上で、計画と実行を同期させられる。つまりIRは“説明”ではなく“経営の仕組み”なのだといえる。大江社長の言葉選びに、その確信がにじむ。

経営者の孤独と覚悟、そして未来

社長という立場で5年を走り、大江社長は年齢の話に触れた。

「60代よりも、70代の今のほうが判断の精度は上がっていると感じます。毎日、新しい発見や学びがある。ミッションがある限り、やり切りたいですね」

再建の歩みは数字にも表れた。損益は“実力ベース”で均衡し、資本市場との対話は年々濃くなる。だが、本人の口から出るのは“達成”ではなく“次の仕事”だ。

「これからの3〜5年で、IRとSRをさらに強くし、持続的な成長の土台を固める。またトップラインをどう伸ばすか、資本配分をどう磨くか、そこに集中します」

やることは、まだ山ほどある。そして、仕事を支えるチームがある。“未経験”からIR部を立ち上げたプレイヤーたちの奔走と成長を、当人たちの言葉で描く。嵐の中で掲げられた旗は、誰の手で、どうやって翻ったのか。前日譚はここまで。次回から、奔走するIR部の物語が始まる。

(執筆:吉州正行)

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