こちらIR!〜会社と投資家をつなぐ物語〜
第2回 「カジノのこと?」ゼロから始まった三陽商会IR部の船出
窮地に陥ったアパレルメーカー・三陽商会の未来を切り開くために、打ち出した策のひとつが「IR部の新設」だった。その大役を任されたのは、わずか2名の社員。手探りの中で始まった日々は、肩書きや知識を超えて“人”としてどう向き合うかが問われるものでもあった。タッグで挑んだ逆境の船出を振り返る。
社内で「IRって何?」と問われた日から
2022年春、三陽商会にIR部が誕生した。その立ち上げを担ったのは谷内祥宏と川嶋一徳の二人だった。だが、ふたりともIRに精通したキャリアを築いてきたわけではなかった。
谷内は、バーバリー事業統轄室や経営企画部といった主要部署を歴任してきた、豊富なキャリアを持つ社員。そんな谷内にとっても、専任部署としてのIRは未知の領域だったという。
谷内「経営企画部にいたころ、当時の会社は事業構造改革の「再生プラン」実行の真っ只中にあったことから、株主や投資家に対して、再生に向けた戦略と将来の展望を説明し、理解を得ることが特に重要なタイミングでした。そうしたなかで、たとえば東証から『この資料を出してください』と言われても、社内の権限と責任範疇が曖昧で、誰も自分の仕事だと思っていないので誰もやらない。結局、偶然気になって首を突っ込んだ私が、情報をかき集めて書類を提出していました。
また、株主・投資家対応に至っては、良く分からないからという理由でほぼ行っていない状態。これでは上場企業として良くないと考え、これらもひとりで実行していました。しかし、このような属人化した、組織として正しくノウハウを蓄積・継承できない状態は健全ではない。IRを専任部署として立ち上げなければ、いずれ立ち行かなくなると感じていました」
一方で川嶋は、十年以上にわたって百貨店営業を歩んできた。販売の現場と直接向き合い、最前線で積み上げてきた経験がすべてだった。そんな川嶋に突然下された辞令は、想像もしないものだった。
川嶋「正直、最初は『IRって何?』というレベルでした。社内でも、カジノリゾート誘致のことかと誤解されるくらいで、具体的に何をする部署なのかはほとんど理解されていなかったと思います」
経験者ゼロ。知識は多少あるもののマニュアルはない。だが、この二人が会社の未来を担う旗手となったのである。
自ら志願した谷内、突然の辞令を受けた川嶋
谷内は、受け身ではなかった。経営の中枢にいたからこそ、危機の大きさを理解していたのだ。
谷内「問題提起者ではなく、課題解決者でありたい。これは社長の教えでもあります。誰かがやらなければならないなら、自分が実行する。その覚悟を示す必要がありました」
谷内は自ら提案書をまとめ、社長に提出した。その胸のうちには「適任者がいなければ自分がやる」という強い決意があった。
一方、川嶋にとっては全くの寝耳に水だった。百貨店の営業畑を歩んできた彼にとって、株主や投資家という存在は遠い世界の話だった。
川嶋「辞令を受けた瞬間は本当に驚きました。でも、これをチャンスだと捉えようと思ったんです。自分で望んだキャリアではないけれど、二度とない経験になると」
ひとりは自ら手を挙げ、もうひとりは突然の抜擢。それぞれの思いが交わり、IR部は産声を上げた。
業績が好調だっただけに、IRが重視されてこなかった
当時、三陽商会においてIRはほとんど語られてこなかったテーマだったという。
谷内「2015年にバーバリーとのライセンス契約が終了する以前は、会社の業績は好調でした。売上高は1000億円を超えていましたし、営業利益も数十億円から100億円を超える単位で出ていました。そのような環境では、当時はIRやSRについては特段考えずとも済む時代だったのだろうと思います。その後は業績が低迷し、経営基盤そのものが揺らいでいました。さらに2020年にはコロナ禍も加わり、IR部新設を構想していた2021年は非常に厳しい環境にありました」
谷内「事業構造改革の下支えやプライム市場の上場維持を考えれば、そうした環境だからこそ、戦略的にIRに取り組む必要があることは明らかでした」
とはいえ、周囲の理解を得るのは簡単ではない。投資家に向き合うとはどういうことか。社内説明資料の作り方ひとつにしても、共通認識がなかった。
川嶋「最初は何をどうしていいか分かりませんでした。でも谷内の資料づくりを間近で見て、少しずつ感覚をつかみました。どう話せば相手に伝わるのか、どう交渉すれば理解を得られるのか。背中から学ぶ日々でした」
新しい言葉を社内に根付かせ、部署をドライブさせるには、時間と信頼が要る。彼らはそれを、日々の対話の中で築いていった。
「勝兵はまず勝ちて……」。正解がないからこそ、考え抜く
谷内の信条は「勝兵は先ず勝ちて而る後に戦いを求むる」という孫子の兵法だ。勝てる準備を徹底した上で挑む、という姿勢だった。
谷内「IRは“正解のない仕事”です。だからこそ考え抜く。相手の視点に立ち、双方にギャップがあることは理解した上で、共通の利益を探る。それが準備であり、勝ち筋をつくることだと思います」
川嶋はその姿勢を見て、仕事の意味を少しずつ理解していった。
川嶋「現場で培った営業の感覚とはまったく違う。でも谷内のロジックを吸収して、自分なりの言葉に置き換えれば、きっと伝えられる。そう思っていました」
二人の関係は、単なる同僚以上だった。経験豊富な谷内の背中を追いかけながら、川嶋は自分の立ち位置を探していった。
小さな部署。だからこそできる意志決定のスピード感
2人しかいない部署だが、その小ささは強みでもあった。
谷内「まずは真摯に愚直にやってみる。走りながら考える。完璧を求めるより、まず動く。そうでなければ、会社は一歩も前に進めません」
川嶋「少人数だからこそ、意思決定が速い。試行錯誤の繰り返しでしたが、やりがいのある現場でした」
やがて、社内の別部門から「IRの視点で見てほしい」と相談を受けるようになる。以前は存在すら曖昧だった部署が、徐々に組織の中に存在感を高めていった。
二人の挑戦はまだ始まったばかりだが、確かに社内には新しい風が吹き込んでいたのだ。(第3回に続く)
(執筆:吉州正行)
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