こちらIR!〜会社と投資家をつなぐ物語〜
第2回 “聞く”ことから始まる経営。ダイトが挑んだ中期経営計画の再定義
下方修正の早期開示を経て、ダイトのIRチームは社外からの信頼だけでなく、社内の“空気”にも小さな変化が生まれたのを感じていた。次なるテーマは、中期経営計画。数字を羅列するだけでは人の心は動かない。3人は、寡黙な製薬会社に“言葉と対話”という新しい文化を持ち込んでいった。
ダイトは長年、原薬製造を中心に、品質と安定供給で信頼を積み重ねてきた製薬メーカーである。表に出ることより、黒子として足元を固めることに価値を置いてきた実直な企業だ。
その風土の中で、IRチームが目指したのは“控えめに語らない会社”から“表に出て発信する会社”への転換である。次なる一手は、中期経営計画(以下、中計)の発表だ。
人への投資が足りない。社員へのヒアリングで見えてきた真実
高畠「数字だけ並べる中計は簡単です。でも、それでは誰のものにもならない。現場と一緒に作る必要がありました」
最初のアプローチは社員ヒアリングだった。研究、製造、品質、営業、管理。部門も立場も横断し、延べ30回以上、会議室で意見を聴いた。その結果、見えてきた事実があったという。
大津賀「キャリア形成や個人のスキルアップ、ローテーションといったことがほとんどなかったという意見が多かったんです。グローバルで見ると、日本は人的資本への投資が本当に少なく、ダイトもあまり手を打っていない状態でした。自分のキャリアに対する思いと今のアサインメントがマッチしていない、自分のパフォーマンスが正当に評価されていないといった不満が、いろんな部門で共通して見られました。部署異動があまりなく、入社してからずっと同じ仕事を10年以上続けているケースも多かったんです」
職人かたぎと言えば聞こえはいいが、古式ゆかしき日本の職能文化は今の時代に通じないかもしれない。中計の策定は、企業文化の棚卸しに近い側面も持つ。リサーチと分析から見えてきた社内の課題を解決するための施策でもあるのだ。
数字だけでは描けない。社員も使える“羅針盤”としての中計
笠嶋「一般的に、中計はPL(損益計算書)重視で、『3年間で右肩上がりにします』といった数字が中心のシンプルなイメージでした。だからこのアプローチには正直感動しましたね」
こうして中計の柱が決まっていった。企業価値に繋がるKGI設定とKPIへのブレイクダウン、人材育成やキャリア形成、情報共有と透明性、部門横断の協働、非財務価値の可視化。抽象的な理念でも、数値だけの計画でもない。社員が日常の判断で使える“羅針盤”であることも目指したのだ。
とはいえ、言葉ひとつで与えるインパクトは大きく変わる。会社の問題点を明け透けに指摘するような内容にすることはできなかった。あくまで指針のための資料であって、抗議文書ではないのだ。
大津賀「就任したばかりの新社長や私たち外から来た人間が、社内の『ダメなところ』を羅列すると、それは会社で頑張ってきた人たちへの批判やモチベーション低下に繋がるリスクもあります。一方で、忖度して本音の議論を避けることは一番良くない。最も大事なことは伝え方で、伝え方には注意を払う必要があるわけです」
そして、役員会で節目ごとに共有して、全社で合意形成をしながら進めた。その結果、社内から大きな反発が出ることもなく、スムーズに策定を進められたという。
高畠「資料を配って終わり、ではダメです。理解してもらう過程が大事なんです」
社内を批判しない表現に。言葉を磨き、合意を重ねて
2023年10月から作り始めた中計は、9カ月の策定期間を経て、2024年7月にリリースされた。IRに関する問い合わせは大きく増え、株価も動いたという。
高畠「当時の相場からすると顕著に上がりましたね。2022年からはジェネリック市場の飽和もあって IRの取材件数とともに株価は下がっていましたが、中期経営計画を発表した2024年7月からは下げ止まりか少し上昇傾向になったのです」
(出所:QUICK)
大津賀「以前は政策の後押しによりジェネリック市場が伸びていたので、何のコミュニケーションを取らなくても勝手に買いが入っていた状態だったんです。しかしそうもいかなくなった。製薬業界の中でも特にジェネリック関連銘柄の場合、株価はマクロ的な業界トレンドがまず7〜8割ぐらい影響を及ぼしていて、正直IRで変えられる部分は1〜2割ぐらいだと思います。だから成果がすぐに出ず、心が折れやすいのですが、続けていくことが大事です」
9カ月の策定を経て。IRが生んだ小さな変化の波
中計の発表を経て、社外のみならず、社内にも変化の機運が芽生えたという。積極的にセルフプロモーションを打ち出し、社長がインタビュー記事に登場したり、IRで積極的に情報を発信したりするなかで、コーポレートブランディングの重要性が浸透してきたのだ。
高畠「先日、投資家向けの工場見学を行いましたが、5年前の体制であれば、製造現場から断られていたでしょう。当時は取引先だけが工場を見学できて、投資家には見せるような取り組みは行っていませんでした」
企業の中計は、未来を語る資料ではなく、いまを映す鏡でもある。そこには、数字よりも先に人の声が刻まれている。社員一丸となって描いた一枚の地図は、会社の意思を映す鏡となり、やがて株主と向き合うための“言葉”へと変わっていく。(第3回に続く)
(執筆:吉州正行)
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