元ゴールドマン・サックスの投資家・田中渓さんに聞く「金融リテラシーの重要性」前編
金融リテラシーを身に付ける方法は「ビジネスの想像」と「少額投資」
もうひとつ、金融リテラシーを身に付けるべき理由があるという。
「情報化社会となったうえにSNSも普及し、正しい情報を選びにくくなっていますよね。大規模な詐欺だけでなく、寸借(すんしゃく)詐欺っぽいものも含めていろいろな人が小さく小さく搾取するような話が出てきているので、何の知識もなく資産運用の方法を探すのは、装備なしで戦場に出ていくようなものです。正しい情報を見極めるためにも、金融リテラシーが必要だといえます」
詐欺の話ではないが、田中さんが金融リテラシーを身に付けていたことで損をせずに済んだエピソードを教えてもらった。
「かつて、MIXIやグリー、ディー・エヌ・エーなどのWebマーケティングを行っていた会社が、こぞってゲームを開発し始めた時期がありました。当時、アイテムがランダムで手に入る『ガチャ』というシステムがブーム化して盛り上がったのですが、景品表示法で規制がかかり、各社の株価が一斉に下がったんです。ここで金融知識がないと『この業界はダメだ』と損切りをして、大きな損失を抱えて終わってしまいます。しかし、金融の基礎的な知識を持って各社の情報を見ることができれば、『ガチャ』をほとんど導入していなかった会社があることがわかり、その会社は早々に回復するという予測を立てられます。実際に私もその会社の株式を持ち続け、結果的に株価が回復し、利益を出すことができました。知識があるかないかで、差が付くひとつの例です」
広告で見かけた企業の「ビジネスモデル」や「売上」を想像してみる
金融リテラシーを身に付けるといっても、多くの社会人は金融について学んだ経験がないだろう。まずは何から始めるといいだろうか。
「勉強と実践の両輪が必要だと思っています。まず勉強の部分でしてみてほしいことは、身近な企業や商品、サービスを取り上げて、商売の仕組みを考えることです。商売は、何で売上を立て、どの部分を利益として得ているかという2つで成り立っているので、この部分を想像して解き明かすイメージです」
書籍を例に考えてみよう。登場人物は著者、出版社、書店、購入者となり、それぞれがどの時点で経費を支払い、どの時点で売上を立てて利益を得るのかを考えてみる。著者とは別にライターが付くケースや、書籍の流通を担う「取次」を挟むケースなども考えてみると、さまざまなお金の流れを想像できるようになるだろう。
「大切なのは、まず自分で考えることです。AIに聞けばすぐに答え合わせができますが、最初から調べてしまうと頭に入りにくいので、まずは想像してみる。そのうえでAIなどで調べ、自分の想像と実際の仕組みにズレがあったら補正していくという作業を行うことで理解が深まります」
田中さん自身も、学生時代からさまざまな企業の商売やビジネスの仕組みについて考える習慣を付けていたそう。
「当時、マッキンゼーの日本支社長を務めた大前研一さんの書籍を読んで知ったのですが、彼は通勤中の電車で中吊り広告を見て、その企業の売上や利益の規模を想像していたそうです。行きの電車で想像を巡らせ、その後四季報などで売上の規模などを確認して、想像とのズレや抜けていた視点などを把握し、帰りの電車ではより売上を上げるためにはどうしたらいいかを考える。これを毎日繰り返すと、広告を見てから3分くらいでその企業のビジネスモデルや売上を想像できるようになったそうなので、私も真似しました」
田中さんも毎日繰り返したことで、利益率の高い業界や安定している企業を見極める目が養われたという。そして、もうひとつ、やっておくといいことがあるとのこと。
「できれば学んでほしいのは、簿記です。資格を取ってほしいということではなく、少なくとも八百屋さんがリンゴを仕入れて売る際に、原価がいくらで、経費がどの程度かかって、いくらの利益を得るのかといった仕組みをわかっておくと、さまざまな場面で役に立つと思います。投資を行うにしても、財務諸表を読む際の基礎知識になります」
勉強と並行して「少額投資」を実践し、経験を積むことも大事
勉強と両輪で必要だという実践の部分で、まずできることは何があるのだろうか。
「とにかく投資をしてみることです。最初は1万円程度でいいので、自分名義の証券口座を開いて、株でも投資信託でもETFでも買ってみる。そうすることで、その企業や社会、経済の動きが急に自分事になります。何事も自分事にならないと関心が高まらないので、投資を始めることで関心を高める環境を整えることが第一歩です」
例えば、時計メーカーの株式を購入すると、時計に関係するニュースが気になるだろう。そこから情報を集め、不景気の最中ではタイムパフォーマンスの重要性が高まるから時計は売れると捉えるか、スマートウォッチの台頭で斜陽産業になると考えるか、判断していくことになる。
「最初から成功すればラッキーですが、失敗することもあるでしょう。ただ、1万円の投資であれば、損をしても3000円ほどで収まるはずなので、そこから取り戻せばいい。重要なのは、成功しても失敗しても、結果につながった原因を考えることです。経験と知識を蓄えていけば、いずれ投資額が10万円、100万円と大きくなっていったときにも対応できるようになります。そのためにも、いきなり高額の投資を始めるのではなく、少額で始めることをおすすめします」
実践するうえでもうひとつ大切なのが、「知識を詰め込みすぎないこと」だという。
「『準備が整ってから始める』という人は多いのですが、知識が増えすぎるとかえって怖くなってしまい、実践に移れなくなることがあります。なので、投資について学ぶにしても、書籍を2~3冊、良質な記事や動画を10本程度見たら、投資を始めてみましょう。仮に野球を始めるとして、『野球の入門書を読んで完璧に理解できるまでバットを持たない』という人はいないはずです。バットやボールに触れるところから始めるのと同じと考えましょう」
「相場が底になるまで待つ」という考え方に縛られないことも、実践のポイントになるそう。
「株価がもっとも下がったときに買うことが望ましいのですが、底値を狙うのは無理な話と考え、相対的に優良な銘柄を見つけることを優先しましょう。10年後のエヌビディアを見つけるのは投資のプロでも不可能に近いことなので、最優良銘柄を底値でつかむことは目指さず、堅実に進めていく前提で今日にでも投資を始めてほしいと思います」
ゴールドマン・サックスでさまざまな富裕層の投資を見てきた田中さんの話は、一般的な兼業投資家の僕らにとっても意味のあるもの。後編では、より具体的な投資手法について伺う。
(取材・文/有竹亮介 撮影/森カズシゲ)






