貫いてきた「挑戦を支える会社」としての姿勢
月保険に宇宙旅行保険……統計的手法が通用しない「宇宙保険」を三井住友海上が50年以上提供できた背景
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1975年、ある1つの宇宙プロジェクトが種子島で実施された。日本初の液体燃料ロケット(※)として開発された「N-Iロケット」による人工衛星「きく1号」の打上げである。そしてこの挑戦を支援すべく、同じく日本で初めて作られたのが「宇宙保険」だった。開発したのは、三井住友海上火災保険(以下、三井住友海上)が所属するMS&ADインシュアランス グループだ。以来、同社は50年以上にわたり宇宙保険のリーディングカンパニーとして歩み続けてきた。
宇宙保険とはどのようなもので、どう活用されているのか。市場で注目を浴びているトレンドを深掘りする連載「マネ部的トレンドワード」。宇宙ビジネス編の本記事では、宇宙保険をはじめとした三井住友海上の宇宙分野での取り組みについて取材した。
(※)液体の燃料と酸化剤を別々のタンクに入れ、それぞれを燃焼室に送る方式のロケット。そのほかに、燃料と酸化剤を均一に混ぜ合わせて固めた「固体燃料ロケット」がある
宇宙技術の「黎明期」に、リスクと向き合う必要があった
ロケットの打上げや人工衛星の運用など、宇宙ビジネスはさまざまに存在する。こうした活動の裏側で重要な役割を担ってきたのが宇宙保険だ。今や世界中で宇宙関連の産業が発展する中、宇宙保険も各地で展開されている。三井住友海上によれば、現在は全世界で20~30社程度が宇宙保険の引き受けを行っているという。
日本で初めて宇宙保険が誕生したのは1975年。JAXA(宇宙航空研究開発機構)の前身であるNASDA(宇宙開発事業団)が、種子島から人工衛星「きく1号」を打上げるために作られた。このプロジェクトは、国内で初めて液体燃料ロケットによる打上げの成功を目指したものであり、その中で宇宙保険の提供が求められたという。
「この頃はまだ日本の宇宙技術が初期段階であり、打上げ失敗等によるロケット・部品の落下リスクにどう対処するかという課題がありました。住民の方の不安に向き合う必要もあったでしょう。そうした背景の中で、ちょうどその数年前に世界で初めて宇宙保険が登場した経緯もあり、当社グループが開発しました」
当時の状況をこう説明するのは、三井住友海上の企業マーケット部 宇宙開発チームに所属する野村花歩氏。この時の保険の内容は、万が一の事故などによる第三者への損害賠償のための補償提供だったという。




