大阪には「金融の街」の歴史がある
直木賞作家・門井慶喜さんが「堂島米市場」を小説化した理由、世界初の先物取引所の魅力とは
金融の街・大坂の誕生背景に「海路」の事情
――それにしても、なぜ江戸時代の大坂で、これほど米の取引が盛り上がったのでしょうか。それも、先物取引が組織的に行われるまで進化していった理由はどこにあると思いますか。
門井 あくまで個人的な見解ですが、明確なきっかけがあったというよりも、「自然発生的にそうなった」のではないでしょうか。そうとしか言いようがない気がします。
ただし、大坂には自然発生を起こす条件が揃っていたのは事実です。まず、そもそもお米が集まらなければ、こうした取引が活発になることはありません。その点、大坂は全国からお米が集まる場所でした。
お米は重量がありますから、江戸時代の技術では陸路で運ぶのは容易ではありません。必然的に船での輸送が多くなります。そして、お米を海上輸送するには、東京湾よりも大阪湾の方が利便性が高く、日本のお米の多くが大坂に運ばれるようになりました。
なぜ大阪湾かと言えば、古代から日本の海上輸送は瀬戸内海が大動脈となってきました。波が比較的穏やかで、かつ日本海側と太平洋側の両方に接続できるからです。そのため、このルートの先にある大阪湾に米が輸送されました。
こうして集まってきたお米は、大坂商人に売られるのですが、重い米俵を現場に持ってきて売り買いするのは面倒です。そこで、米の問屋は商人に“米切手”という紙の証明書を渡して、「あとでこの米切手を持ってくれば現物の米と交換する」というやり方にしていきます。
するとそのうちに、もらった米切手を商人同士が取引するケースが出てきました。米の時価は変動するので、米切手の売り買いで得する人・損する人が生まれます。次第にトレーダーのような人が出て、大坂で取引が活発化していったのではないでしょうか。
――そうして、先物取引にまで発展していったと。
門井 このような動きによって、大坂は自然発生的に「金融の街」に変貌していったのだと思います。もしかしたら、世界で初めての金融の街だったのかもしれません。
――今のお話を伺うと、日本の金融において大阪が重要な地域だったことがよく分かります。JPXグループの大阪取引所でも、現在、先物取引をはじめとしたデリバティブ取引を管理しており、江戸時代からのつながりを感じるのではないでしょうか。なおこの後のインタビュー(後編記事)では、門井さんが興味を持っている市場の歴史や、堂島米市場と現代の共通点などを聞いていきます。
(取材・文/有井太郎、撮影/森カズシゲ)
※記事の内容は2026年8月現在の情報です
1971(昭和46)年群馬県生れ。同志社大学文学部卒業。2003(平成15)年、オール讀物推理小説新人賞を「キッドナッパーズ」で受賞しデビュー。2015年に『東京帝大叡古教授』、2016年に『家康、江戸を建てる』がそれぞれ直木賞候補となる。2016年に『マジカル・ヒストリー・ツアー ミステリと美術で読む近代』で日本推理作家協会賞、同年咲くやこの花賞を受賞。2018年に『銀河鉄道の父』で直木賞を受賞。他の著書に『ゆけ、おりょう』『東京、はじまる』『地中の星』『信長、鉄砲で君臨する』『文豪、社長になる』など多数。



