歴史的な視点で経済や市場を学ぶ

【第1回】市場(いちば)と市場(しじょう)は違うもの?(後編)

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2. 律令制時代・市場経済の黎明

西暦701(大宝元)年に、大宝律令という成文法が日本で制定されます。この成文法を基に律令制が形成されます。律令制は、天皇の宗教的権威のもとで土地と人民を支配することを基本理念とした「指令経済」です。次の図の様なシステムで、律令政府は全国を国(例えば、大和の国というように)という単位に分割し、それぞれの国(地方)から中央に吸い上げて、中央が整理して再度それぞれの国(地方)に資源配分を行っていました。

このような仕組みは中国を参考に導入したもので、いわば「天」が決めたことが世界の隅々まで行き渡ることが理想的であると、制度を導入した朝廷の有力者は考えていました。例えば、モノの価格、つまり物価ですが、それも基本的にはすべて中央が定めることとしていました。そのような公定価格を沽価(こか)と言います。

しかし、ちょっと考えてみてください。律令政府が無い時代に生きていた人が、例えば米を得ようとした場合、すぐに手に入り皆が食べられていたときと、入手が困難なときに、同じ値段で得られたと思いますか?おそらく、沽価が存在する前から、人々は自然と相場に従って米を得ていたはずです。なぜなら、農作物は自然の影響を強く受けて収穫量が変動するからです。したがって、沽価は、そういった価格変動に苦しむ人々に対し、当然人が得るべき、払うべき代価を天に代わって示そうとしたものだったかもしれません。

奈良の平城京や京都の平安京には内裏の左右に官営の市が設けられ、貴族や寺社などはそこで必要なモノを調達していました。各地の国衙(国司が勤務する役所の或る区画)でも同じような市が設けられていました。その際には、自然な相場による値段が日々形成されていました。それを和市(わし)と言います。市での和市を管理が記録し、それを元に、一定期間の相場から沽価が決定されていました。

すでに奈良時代には、和市と沽価の価格差を利用して安い値段で買って高い値段で売りぬける行為、つまり裁定取引も行われていたようです。こうした裁定取引は、寺院など価格情報を把握できる一部の層に限られていたようでした。むしろ多くの人々は、価格変動に悩まされていたようでした。つまり黎明期の市場経済において人々は価格変動リスクに悩まされる切実な事態に直面していたのです。

例として、塩の話をしたいと思います。

菅原道真といえば九州の大宰府天満宮に祀られる学問の神様として知られていますが、実在する律令時代の官僚の中では、庶民の暮らしに同情的な理想化肌の人物だったようです。彼が9世紀末に讃岐(今の香川県)の国司に任官されて赴任した時に、その時の体験をもとに「寒早十首」という10首の漢詩を綴ったのですが、以下はその第9首です。

「何れの人にか寒気は早き
寒は早し、塩を売る人
海を煮ること手に随うと雖も
烟(けぶり)を衝きて身を顧みず、早天に平価は賎けれども
風土はいまだ商に貧しからず
豪民のひとりじめを訴んと欲して
津頭に吏に謁すること頻りなり」

(意訳)
「どんな人に寒さは早く訪れる?それは塩を売る人。海水を煮るのも手慣れたもの。煙の中身を顧みることなく。日照りが続けば塩は採れ過ぎ。相場は下落。それでもなんとか成り立つ商売。なのに利益を欲しいままの豪民。訴えを起こして港で役人に謁見なんてことも頻繁だ」

この漢詩には、塩の価格変動がはっきりと書かれています。そういう価格変動リスクのなかで翻弄される讃岐の塩業者を、菅原道真は同情的に見つめています。

少し補足しますと、現実的にはこのような自然による価格変動があるなかで中央の沽価が守られなかったり、沽価を利用して不当に和市より安い値段で物品を買い叩く官僚がいたようです。国衙の官僚たちは、中央に租税を送る際に、サイドビジネス的に自分で調達した荷物も一緒に運び、売り払うこともしていました。価格変動に悩まされる人々を救いたいと憤りさえ抱く菅原道真の人柄がなんとなく想像できそうな詩ですね。

菅原道真の想いはともかく、こういった行為は正義に反していると思うからこそ、取引に関する訴えが頻繁にあり、一応管理者のいる官営の市が存在し、人々は、律令政府という指令経済下でも、価格変動リスクを避け、不公正な取引を避けて生きていくにはどうすればどうすればいいのかということに直面して生活していたのです。そうした人々の経験のなかから、市場という場に何が必要なのか、徐々に含意が形成されていくことになるのです。(次回につづく)

 

このお話は、横山和輝名古屋市立大学経済学部准教授の協力を得て、横山氏の著作「マーケット進化論」日本評論社、「日本史で学ぶ経済学」東洋経済新報社 をベースに東京証券取引所が作成したものです。

(東証マネ部!編集部)

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市場(いちば)と市場(しじょう)は違うもの?(前編)

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