歴史的な視点で経済や市場を学ぶ

【第3回】永代供養(長期のお弔い)の費用は長期の運用で賄った?(後編)

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4. 金融業者の登場

前編では市場を活発にするにはお金の貸し借りが必要で、寺社等を通じてお金の貸し借りの機能が提供されており、寺社の下級僧侶等にそのようなお金を貸し借りする能力が蓄積されていったことを説明しました。中世を通じて室町時代まで、そのようなお金の貸し借りがどんどん広がっていきます。

早島大祐「徳政令」(講談社現代新書 2018年)によれば、鎌倉時代の承久の乱で後鳥羽上皇の西国の所領が没収されて東国の武士に与えられたことを契機に、荘園をマネジメントする借上の経営規模が拡大し、金融業として成り立つものが現れたとされています。経営規模が大きくなり、お金を貸して金利収入を得ることを専業とし始めた彼らは、荘園からの納税品を保管しておくために新たに大きな倉庫を立てなければならなくなりました。このことから金融業者を「土倉」(どそう)と呼んでいました。

1 中世の金融史については主にこの本を参考に記述している。

お金を貸す側の規模が大きくなっているということは、それだけ、大量にお金を借りる返済能力がある人達が出てきたということですし、また、貸すための大量のお金が集まったということでもあります。

また、このように物を大量に保管できる倉庫があることが、貸金業者の条件の一つになっていったため、昔から大きな倉庫をもつ酒屋にも貸金業を行う者が出てきました。倉庫があるということは、モノの保管を記録し、出入りを記録し、計算する能力を持っているということなので、貸金業を行える能力があったということです。

5. 祠堂銭金融(しどうせんきんゆう)

土倉が成り立つような大量のお金の貸し借りが発生していった歴史的背景については、詳しくは先述の早島先生の本を読んでいただきたいのですが、簡単に言えば、15世紀ごろに飢饉等の影響でお金を借りなければ立ち行かない人達が非常に増加していたということや、足利幕府が収入不足(支出過多)だったこと、一時期にお金の貸し借りに関する裁判制度が充実したといったようなことが背景にあったようです。

借りる人の増加に対して、貸すための資金が必要ですが、その一つに祠堂銭(しどうせん)というものがありました。これは、永代供養を寺社にしてもらうために寄進された資金です。今でも、お寺などでお墓を買うと、永代供養料という未来永劫にお墓に入った人を供養してもらうための料金を支払うことがありますよね。要するに、先に、お寺にそれなりのお金が入ってくるのです。

お寺はこのお金で長い期間に、供養にかかる費用をそこから賄っていくのですが、お寺としては、そのお金を長い期間ただ倉庫に保管しておくのではなく誰かに貸して少しでも増やそうと考えたのです。うまくいけば、利息で毎回の供養の費用が得られるかもしれません。(むしろそうでなければ、いつか供養の費用が尽きて、永代には供養できないという理屈になります)。

そこで大事なのは、返済リスクになります。お寺としてはなるべく安全な相手にお金を貸したいと思いますが、そこで登場するのが土倉・酒屋なのです。集まった祠堂銭を寺院は貸し出します。この祠堂銭資金を今度は土倉・酒屋が貸出に用いるのです。その際に、土倉・酒屋は借り入れた金利よりも高く貸し出さないと儲けが出ません。したがって土倉は寺院に比べると「高利貸」になるわけです。

一方、祠堂銭を提供する寺院は、現代で言えば金融債を購入しているようなものです。長期の支出に対し長期資産運用のリターンを組み合わせていくような発想は、まるで、現代のALM(アセットライアビリティマネジメント)のようです。

すでに当時は、事実上の複利が横行していました。すなわち、利息が発生した時点で貸借契約を書き換え、元金に組み入れるかたちで新規の契約を結ばせるのです。こうした書き換えは、徳政令、つまり債権破棄の命令が実施されそうな局面で横行しました。すなわち、長期の債務契約をさらに短期の契約が積み重なったものに書き換えさせて複利をしのばせたのです。こうした行為を禁止する法令が出されていましたが、相当程度に横行していたものと思われます。このように、日本の中世には、お金を貸し借りすることに関する様々な技術が蓄積されていたのです。(次回につづく)

※このお話は、横山和輝名古屋市立大学経済学部准教授の協力を得て、横山氏の著作「マーケット進化論」日本評論社、「日本史で学ぶ経済学」東洋経済新報社 をベースに東京証券取引所が作成したものです。

(東証マネ部!編集部)

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永代供養(長期のお弔い)の費用は長期の運用で賄った?(前編)

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