コロナ禍で「基本戦略に誤りがないと確信」。偉大なる中小企業、DICの打ち手(後編)
1908年に印刷インキ製造会社として誕生して以来、ファインケミカルメーカーへの多角化を成功させ、M&Aを重ねて世界64カ国、約2万人の人材を抱える一大BtoB企業へと成長を遂げたDIC。
2018年に社長に就任した猪野 薫さんは「Color & Comfort」というブランドスローガンのもと、サステナブルな社会への貢献を打ち出した。その矢先に訪れたのが、新型コロナウイルスの流行という不測の事態だ。
コロナ禍は社会のあり方に目を向ける大きな機会
「有史以前、何十億年も前からパンデミックが繰り返されてきたわけです。コロンブスがアメリカに上陸して感染症で先住民族の多くが命を落としてきた。しかしグローバリゼーションが発達したなかで起きた今回は、今までのパンデミックとはまるで違うインパクトがある。コロナウイルスの流行で、地球温暖化から凍土に閉じ込められてきたウイルスが顕在化する可能性にも注目が集まっています。地球そのもののサステナビリティに社会が立ち向かっていかないと、大きなリスクに繋がるとわかってきたと思うのです」
コロナウイルスの影響拡大が、環境に向き合う大きな契機になるという見方ができるということだ。
「そんななかで我々の取り組みは、リサイクルや脱プラスチック、フードロスなどさまざまな切り口がある。我々ケミカルメーカーの貢献が、以前にも増して注目を集めています」
見返りを求めず社会に奉仕したことで、結果が付いてきた
DICは、コロナ禍そのものへの対策も講じてきた。医療関係機関に高性能マスクやフェイスシールド、健康飲料を寄贈したほか、「体外式膜型人工肺(ECMO)」に用いられる中空糸膜の提供に協力。また消毒・清掃保証シールを販売するなど、矢継ぎ早に取り組みを行っている。
「コロナ禍により月報のオンライン化を行ったのですが、我々だからこそできる社会貢献をトピックに入れました。N95マスクの寄贈や、DICグループの成形会社でプラスチックシールドを作れないか、医療従事者の方々が疲弊しているので絶対的な自信を持つヘルスケア商品を寄贈できないのかと。商売に結びつけるのは二の次でいい」
社内からはさまざまな意見が出て、闊達に議論が交わされたのだとか。一連の取り組みのなかで、重症患者の呼吸を助ける「ECMO」に用いられる中空糸に注目が集まった。
「BtoBであまり日が当たらなかった事業が結果的に知れ渡るようになったわけですが、それはあくまで結果論です」
テレワークが進むなかで、見直すべき仕組みと価値観がある
その一方で、コロナ禍のわずかな期間で働き方が大きく変わった。世の多くの企業と同様に、DICも例外ではなかったという。
「テレワーク化が進みました。私自身も経験して、3月の株主総会から6月末まで会社に2回くらいしか出社しませんでしたが、それでも仕事が成り立つことに気が付いた。そして、それができる職種とできない職種があることにも気が付いたわけです」
テレワークの実施が難しい生産部門に加え、捺印のために出社しなければいけないデスクワークの社員もテレワーク化の徹底は困難だったという。そして会社が採用するネットワークにも課題があることがわかった。
「利便性が高い一方、必ずしもテレワークは盤石な方策ではないとも感じました。IT統制はガラッと変えなければいけません。グローバルオペレーティングシステムとワンセットで生産システムの改変を考えると、2025年には新しいITインフラを整えなければならない」
ワークライフバランスと人材登用の方法が変わる
そんななか、今までテレワークとは無縁だった日本人やアジア人が欧米と足並みを揃えていくために、さまざまな手段を講じる必要があるそう。
「日本では、ワークライフバランスが散々叫ばれていたけれども、実際はできていないと気づかされました。今回、働く場所と時間を考えずに、ちゃんと子育てもできて、家族の時間も大切にして、かつ重要な仕事は自宅でも完璧にこなすことで、将来の成果主義に耐えられると少しずつ認識してきたところです。ここは会社の文化を変え、単なる働き方改革以上のものにしたい。自己実現と会社全体の生産性の向上を伴って、企業価値が向上し、所得が増える。そのためのプロジェクトがまさにスタートしたところです」
コロナ禍は企業の姿勢と働き方を大きく変えるキッカケになったわけだが、グローバル企業ならではの悩みもあるという。
「まず時差の問題があります。また我々はグローバル企業と呼ばれるわけですが、日本の企業ですから最終意思決定を日本人がしている。ところがその判断材料を求める相手が日本人だけではらちがあかない案件がどんどん増えている。そこで将来的には、グローバル本社のあり方を考えなければなりません。『各国の人材が働く場所はこうあるべき』という形を指向したいのです」
この先に何が求められるかを考えながら、柔軟に打ち手を変える
未曾有のイベントリスクは、グローバルスタンダードの働き方や会社のあり方を変える契機なのだ。このように、DICは100年以上の長きにわたって、“機を見るに敏”の会社であったといえそうだ。たとえば2020年7月には、東京大学を拠点とする量子イノベーションイニシアティブ協議会の設立メンバーに企業として参加した。
「数ある科学技術が飽和してきているなかで、AIやマテリアルズインフォマティクスなど、聞き慣れない言葉が躍っています。しかしまだ実証実験の段階で、量子コンピュータを実際の計算科学に移転するまでには時間がかかりますが、早く着手することで私どもが貢献できる素材開発が、一気に進む可能性がある。そこでいち早く取り組むことで、同業他社に先駆けてお役に立てる可能性が高くなるわけです」
サステナビリティや量子コンピュータはただのトレンドではなく、この先必ず社会に定着していく。そのことをファクトとして見据えて、打ち手を柔軟に変えていけることがDICの強みといえそうだ。
「私は社長就任以来、『ユニークで社会から信頼されるグローバル企業』を目指してきました。このようなさまざまな取り組みを行ってはじめて、尊敬と信頼を集める会社になれるし、ぜひともそうなっていきたい。『色彩とコンフォート』を求めるファインケミカルメーカーはこの世の中にそうはなく、まして世界64カ国に展開し2万人を超える規模はほかにない。コロナ禍をひとつの契機と捉え、今までの基本戦略に誤りがなかったことを確認し、まい進していく。これがある意味で新たなブレイクスルーだと私は考えています」
(執筆:吉州正行)
<プロフィール>
猪野 薫
1957年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、81年に大日本インキ化学工業に入社し、財務部長、資材・物流部長を歴任。2012年に執行役員 経営企画部長。2018年、60歳で代表取締役 社長執行役員に就任。2019年、「Value Transformation(事業の質的転換)」と「New Pillar Creation(新事業の創出)」という2つのコンセプトを盛り込んだ中期経営計画を策定。「Color & Comfort」のブランドスローガンのもと、持続可能な社会に向けたさまざまな取り組みを行う。
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