【第5回】江戸時代の決済システム(後編)
4. 逆手形等・・・江戸時代の信用システムでの決済手段
両替商は預金を預かる仕組み(利息はつかない)を持っていました。両替商にお金を預けると預かり手形を発行してもらうことができました。この預り手形は持参人払い(手形を持って来た人が両替商から預金を受け取れる)ですので、重いお金を持ち運ばなくても、預金手形で支払いができます。それが転々と紙幣として流通しそうですが、預金手形の流通期限は5日ほどでした。
その預金手形は、お金を渡す相手を指定した振り手形と呼ばれるものです。それとは別に、非常に重要で独特の仕組みを持つ逆手形と呼ばれる手形もありました。
振り手形は、債務者(買い手)が債権者(売り手)に支払うための手形ですが、逆手形は、第三者に債務者(買い手)への取り立てを依頼する手形です。例えば、こんな具合です。
①江戸商人が大坂商人から商品を買う
②商品が大坂から江戸へ廻送される
③大坂商人は大坂の両替商に逆手形の発行を依頼
④大坂の両替商は江戸の両替商に逆手形を発送し、同時に融資を行う
⑤江戸の両替商は江戸の商人に逆手形を提示し、代金を取り立てる
⑥江戸の両替商は取り立てた代金を大坂の両替商の融資の返済にあてる
⑦大坂の両替商はこの返済額分、大坂商人の預金を増加させる。これで決済完了
このような逆手形の応用型で、大名の本国への送金と大坂での商品買い付けの決済を同時に済ませる江戸為替という手法も利用されていました。
また、大坂商人と江戸商人は大坂本店、江戸支店(大坂支店、江戸本店)というような関係の場合も多く、本支店間という店の内部での資金移動をこのような機能を使って管理したのです。
5. 明治経済発展の土台となった高度な江戸期の金融リテラシー
明治維新によって、西欧の進んだ経済システムが導入されて、古い江戸期の仕組みはなくなったというのが多くの人の認識なのかもしれません。しかしながら、近年の目覚ましい江戸期経済の研究では、同時代の欧州の商業銀行サービスに引けをとらない機能を江戸期の両替商が有していたことが判ってきています。
例えば、明治時代に第一国立銀行にアラン・シャンドが最初に導入したという複式簿記についても、大蔵省の優秀な官僚でも理解できる人が少なかったというのに、その後急激に銀行が増加できたのは、江戸期の商人に複式簿記と同じような考えがあったからともいえそうですし、そもそも、享保期から盛んになる寺子屋制度を通じて、庶民の識字率と計算能力が高かったことも重要な要因です。多くの寺子屋で用いられた『塵劫記(じんこうき)』という教科書を通じて、掛け算、面積の求め方、負担すべき税の算出、あるいは利息計算など、計算が必要な現場での計算方法が広く教えられていました。
明治の偉人が、進んだ欧州の新しいシステムを日本に導入したことの前提に、そのようなシステムを受け入れる基本的な素地が江戸期を通じて日本に存在していたことは重要だと思います。
私たち日本取引所グループが現在担っている証券取引のリテラシーも、株式会社制度という証券を基盤とした金融システムも、次回説明する大坂の堂島米会所と深いつながりがあり、江戸期の金融システムは、明治以降に導入された仕組みとは無関係とは言えないのです。(次回に続く)
※このお話は、横山和輝名古屋市立大学経済学部准教授の協力を得て、横山氏の著作「マーケット進化論」日本評論社、「日本史で学ぶ経済学」東洋経済新報社 をベースに東京証券取引所が作成したものです。
(東証マネ部!編集部)
<合わせて読みたい!>
江戸時代の決済システム(前編)