【第7回】江戸時代の経済(商業・流通)の基本的な仕組み(後編)
4. 江戸時代の法と権利
第4回で、戦国時代に市場法の制定が増え、市場を守る権力として受容された戦国大名の話をしましたが、江戸幕府においてもそれは同じです。江戸時代には三権分立というような考え方はなく、司法に関する制度は、重層的で複雑でした。単純に言えば、行政官であるお奉行様がその権限の範囲内で司法も取り扱っていたというところです。
現代の刑事事件にあたる問題については吟味筋(ぎんみすじ)と言われて奉行が取り調べ、現代の民事事件にあたる問題については出入筋(でいりすじ)と呼ばれ、本公事(質地・給金・家賃・両替金・為替金・預金等のトラブル)、金公事(利息付き無担保の貸借契約に関するトラブル)、仲間事(利益分配に関するトラブル)に3区分され、金公事、仲間事は共同体内の調停である内済(ないさい)に委ねられていました。
内済が特に重要だったのは、村落における土地の借用に関する問題で、土地の売買は法的には禁止されていましたが、実際には土地が借金の担保に使われており、質流れしてしまうことが頻出すると、石高制の元本である村落共同体が壊れてしまうので、内済が重要だったのです。
江戸時代には金銭トラブルが激増し、町奉行の司法能力の限界を超えていました。そこで、相対済令(あいたいすましれい)と呼ばれる、当事者間での解決を勧める法律が出ました。なかでも、吉宗の出した相対済令は、債権者保護に留意されていることが特徴的で、相手が遠隔地の居住者で債権回収が困難な場合、奉行所がサポートをする方針などが定められていました。
5. 江戸時代の経済システムの行き詰まり
次の表を見てください。18世紀後半から19世紀初めにかけて、大坂への物品の流入が激増し、19世紀の中頃から大坂への物品の流入が減少していることがわかります。
江戸期後半の財と貨幣の循環
これは、18世紀から19世紀にかけて村落での物品の生産力が向上したことと、19世紀後半から地域間取引が増えて、大坂を経由する取引が減少したことを示しています。
こうした地域間取引を主導したのが各商品産地の在郷商人と呼ばれる商人です。現代でも、すでに固まっている大手の流通経路(大手の問屋や商社経由で消費者に商品が届く)ではなく、ダイレクトに消費地に販売することがありますが、大坂の問屋株仲間にとってはそうした在郷商人の動きは大きな痛手になりました。
ただ、油などの流通に関しては、大坂や江戸が大消費地でもあるので、幕府としては大坂に商品が入るように流通の統制などを行わざるを得なくなり、在郷商人達の反発を受けます。こうした反発は株仲間反対運動として展開され、幕府は株仲間への反発を和らげるために流通規制を緩和したりします。
老中水野忠邦は、高騰する物価の原因が株仲間による価格吊り上げにあると考え、株仲間の解散を行います。しかしながら、在郷商人が台頭し、株仲間の価格への影響力は大きく低下していて効果はありませんでした。それどころか、株仲間が仲間の中での価格つり上げのような行為を自主的に規制していた機能も消失してしまいました。これによって、商業行為そのものの規律が低下していることなどが報告されています。株仲間制度は再興されますが、江戸の経済は混乱から立ち直ることが困難だったようです。
このことからも、市場システムには、単に自由競争を促すかどうかという二者択一の視点だけではなく、市場参加者が互いに便益を高め合えるよういかにして市場の機能不全を防ぐかという視点も必要ということがよくわかります。(次回に続く)
※このお話は、横山和輝名古屋市立大学経済学部准教授の協力を得て、横山氏の著作「マーケット進化論」日本評論社、「日本史で学ぶ経済学」東洋経済新報社 をベースに東京証券取引所が作成したものです。
(東証マネ部!編集部)
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