研究者・成田悠輔氏に聞く「教育と経済の話」前編
成田悠輔氏「お金によって教育格差がつくられているかはすぐにはわからない、と気づくことが大事」
近年、日本では経済格差と教育格差の相関関係が話題になることが増えている。海外でもこの話題が取り上げられることはあるのだろうか。そもそも海外では、教育にどのくらいのお金をかけているのだろうか。
研究者であり実業家でもある成田悠輔さんに、教育と経済の関係、日本と海外の違いについて聞いた。
海外と比べると日本の教育費は安い…?
――日本と海外では、教育にかけるお金に差はあるのでしょうか?
「OECD(経済協力開発機構)がまとめているデータで、教育支出(公費・私費負担の合計)の対GDP比の国際比較があります。2022年のOECD平均は4.9%。日本は4.2%なので平均よりちょっと低めくらいですね。一方で、アメリカやイギリスは6%を超えてきてる。韓国も5.3%です。日本は相対的に教育にあまりお金を使っていない先進国といえるかもしれません」
――なんとなく海外の方がお金をかけていそうなイメージもありますよね。とはいえ、日本でも子育て世帯にとって、教育費は大きな負担といえますが。
「子どもを育てて学校に行かせるのは、どの国でもお金がかかることですよね。ただ、外国と比べると、日本の教育費、特にエリート教育にかかる費用はたかが知れているといえるかもしれません。私立大学の学費を見ると、日本は年間百数十万円程度(大学や学部・学科により変動あり)ですよね。慶應や早稲田でもそんなものです。一方、アメリカのイェール大学の2022~2023年の学費は、額面だけで見ると年間6万ドル。日本円にすると900万円くらいです。これより高い大学もあります。
とはいえ、他国と比べてどうかはともかく、教育費を多く取られている肌感覚があるのは確かだとは思います。私が小学生だった90年代って、私立中学を受験するにしてもせいぜい小学5年生くらいから塾に行き始める人が多かったんですよね。でも、最近は小学3、4年生から塾に通う、場合によっては小学校に入った時点から中学受験を考えるのが普通になっています。昔に比べて日本人の可処分所得は落ちているわりに、受験戦争は過熱気味なので、教育にお金を取られているという感覚が出てくるんだと思います。国公立の学校の学費も上がってますし」
“教育投資による子どもの成績への影響”は思ったほど単純じゃない
――教育費は家庭によっても異なるものですが、経済格差と教育格差の相関関係は、近年の日本で話題になっています。
「貧しい家庭と豊かな家庭を比べたら、後者の方が成績が高く、偏差値の高い学校に通っていることが多いのは確かだと思います。ただ、その学力の違いが、本当にお金のインパクトによって生まれているかどうかは、慎重に判断しないといけないと思いますね」
――経済力が学力に影響しているわけではない、ということでしょうか?
「必ずしもお金によって格差がつくられているとは限らないということです。豊かな家庭の親は、そもそもお金を稼ぐ能力が高いわけですよね。IQや能力みたいなものが遺伝するとしたら、能力の高い親の子どもは能力が高いはずです。そうなると、教育投資の多い少ないに関係なく、豊かな家庭の子どもは単純に頭がいい傾向があり、偏差値の高い学校に行けて、将来の稼ぎも良くなってるだけ、ということが起こってもおかしくない。
教育にかけたお金と教育達成度の関係は、ただの見せかけの相関関係なのか、本当の影響なのか、見極めないといけないということです。お金や投資の影響で子どもの教育に変化が起きているかどうかを検証するのは、実は難しいということを知っておかないといけないかなと」
――「豊かな家庭の子どもは成績が高く、偏差値の高い学校に通っていることが多い」というデータがあるだけで、実証されているわけではないんですね。
「国や地域の比較も難しいですね。教育投資の水準と試験の点数の関係は、よく国際比較されます。例えば、一人当たりGDPや教育支出と国際的な学習到達度指標PISA(Programme for International Student Assessment)の関係を見ることがよくあります。そうすると、経済的な豊かさや教育への投資が高い国ほど学力達成度も高い(少なくとも低くない)傾向が多いようです。特に発展途上国では、その傾向がはっきりしています。
ただ、もしかしたら教育水準が高く、いい成績が取れているような国は、『私たちの国の子どもたちはこんなに頑張ってるから、教育は国の大事な誇りだよね』と国民に伝え、教育投資を促しやすいだけかもしれないですよね。
もちろん、投資を促したことで教育が充実化して成績が上がった可能性もありますけど、そもそも成績がいいから政治的にお金を引っ張りやすくなっている可能性もある。データを見るとそこに因果関係がある気がしてしまうんですが、よくよく考えると本当に因果関係があるかはあやしい場合が多いことに気づくのが大事です」
――データを前にすると、何かを読み取ることにばかり注力してしまいそうですよね。
「あと、データという測れるものを測っていくスタイルのものと、人生の幸福みたいな、どう測っていいかわからないものは、相性が悪いんですよね。だからこそ、データを使う意味がある領域とない領域を慎重に見極める必要があると思います」
現行の日本の入試制度はそんなに悪くない
――それにしても、イェール大学の学費が年間6万ドルとは驚きました。この金額は、一般家庭でも支払えるものなのでしょうか?
「アメリカの名門大学では、庶民家庭の子どもが大学に合格した場合、学費の多くが奨学金でカバーされることが多いのです。例えば、プリンストン大学は年収15万ドル(2000万円強)以下の家庭の子どもは授業料を無料にすると発表しました。大学にもよりますが、奨学金制度が充実していることが多いので、実際に支払う学費は額面より低い場合が多いんです。
一方で、例えば資産が十億円以上とかある富裕層なら、子どものために数千万円くらい問題なく払えるという現実もあります。アメリカの名門大学では、学費の比じゃない巨額の寄付金をした家庭の子は、総合的な判断で合格しやすくするといわれています。さらに、世界中から学生を集めているので、いわば世界中の資産家が顧客候補といえるわけです。全世界で見れば、子どもの教育に数千万円払っても問題ない資産家はいくらでもいますよね。アメリカの大学はリッチな人からお金を受け取って、それ以外の人や大学院生、研究者にお金を回すという生態系を形成しているんです」
――日本のように、全員が平等に同じ学費を支払う形態とは異なるんですね。
「日本の場合は、学費の額面そのものが抑えられていて、一般家庭でもどうにか支払える額だから、だいぶ違いますね。あと、日本をはじめアジアやヨーロッパの国などで取り入れられている支配的な入試制度、試験の点数で合否が決まる仕組みは公平っちゃ公平だと思うんですね。もちろんアメリカのように、AO入試で総合的に判断する方法もいいと思うのですが、どちらも良し悪しがあって、一概にどちらがいいとも言えないと」
――日本の入試のいい部分はおっしゃっていた公平性だと思いますが、悪い部分は総合的な評価が加味されないところでしょうか?
「そうですね。ただ、最近はAO入試も増えてますよね。試験のようなはっきりした基準に基づく評価に加えて、AO入試っぽい要素が少しずつ加わっているんだと思います。これは私個人が思うことですが、『アメリカの総合的な大学入試と比べて、特定の基準にとらわれた日本の大学入試は情けない』という言説は、アメリカの仕組みの良くないところを理解していないなと思いますね」
――アメリカの入試の良くないところとは?
「総合的な評価とは、要は合否を決めている大学側の裁量でなんとでもなるということじゃないですか。もしかしたら親の属性だけで合否が決まっているかもしれない。総合的に多様性を担保する仕組みともいえるし、不透明な基準に基づいて特定の属性の人を優遇する仕組みともいえる。人種や性別、生まれといった、本人の努力では変えようがないもので差別される可能性があるんです。実際、アメリカの名門大学の入試でアジア人などの属性に基づく差別があると訴える裁判がいくつも起きています。入試の仕組みについて議論するのであれば、各国の仕組みの明暗をちゃんと見定める必要があるだろうと思いますね」
――現在の日本はAO入試が増えていますが、試験も並行して続けていくのがいいのでしょうか?
「今の日本の入試制度に関しては、明瞭にダメっていうことはないんじゃないかと思います。英語の試験が実用に耐える英語力を育てていないとか、国語の読解問題が曖昧だとか、個別の試験やカリキュラムの中身について改良点はいくらでもあると思いますけどね。試験の点数に基づく入試がベースにあって、+αの形でAO入試が存在する日本の仕組みは、理にかなっているように見えます。
重要なのは、大学の価値観や考え方に基づいて総合的に合否を決めるAO入試を導入するとしても、長い目で見た時に大学の周りにどういう生態系をつくり出したいか、考えることだと思うんですよ。アメリカの場合は、貧しいけどものすごく頭のいい子も豊かな家庭の子もスポーツが得意な子も混ぜることで、豊かな家庭の子が頭のいい子に投資するコミュニティが形成されたり、お金持ちが寄付したお金が能力の高い学生や研究者に回ったりと、経済的・科学的・文化的な価値が生み出される生態系が存在してるんだと思うんです。
日本でAO入試を導入する場合も、入試制度だけを取り出して『いい』『悪い』と話すだけではダメで、どういう生態系にしたいかというところを議論しないと意味がないと思いますね」
経済や教育についてデータから読み取れることは多いが、成田さんの話を聞いているとこれから議論するべき課題は山ほどあることに気づかされる。後編では、日本と海外の金融経済教育について伺う。
(有竹亮介/verb)
夜はアメリカでイェール大学助教授
昼は日本で半熟仮想(株)代表
専門は、データ・アルゴリズム・数学・ポエムを使ったビジネスと公共政策(特に教育)の想像とデザイン
ウェブビジネスから教育・医療政策まで幅広い社会課題解決に取り組み、多くの企業や自治体と共同研究・事業を行う
内閣総理大臣賞・オープンイノベーション大賞・
MITテクノロジーレビューInnovators under 35 Japan・KDDI Foundation Award貢献賞など受賞
研究者として「社会的意思決定アルゴリズムをデータ駆動にデザインする手法」を開発し
多分野の学術誌・学会に査読付学術論文を出版する
(AAAI, American Economic Review, Econometrica, Discrete Applied Mathematics,
Management Science, NeurIPS, Proceedings of the National Academy of Sciences, 人工知能学会誌, OR学会誌など)
混沌とした表現スタイルを求めて、報道・討論・バラエティ・お笑いなど様々なテレビ・YouTube番組の企画や出演にも関わる
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成田悠輔
研究者、実業者、執筆者。アメリカではイェール大学助教授、日本では半熟仮想代表を務める。専門はデータ、アルゴリズム、数学、ポエムを使ったビジネスと公共政策(特に教育)の想像とデザイン。ウェブビジネスから教育・医療政策まで、幅広い社会課題解決に取り組み、多くの企業や自治体と共同研究・事業を行う。混沌とした表現スタイルを求めて、報道・討論・バラエティ・お笑いなどさまざまなテレビ・YouTube番組の企画や出演にも関わる。著書に『22世紀の民主主義 選挙はアルゴリズムになり、政治家はネコになる』がある。