歴史的な視点で経済や市場を学ぶ

【総括編】明治から昭和にかけての日本人の金融リテラシーの変遷(後編)

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1年以上にわたって連載してきた特集「歴史的な視点で経済や市場を学ぶ」の監修者として携わっていただいた横山和輝先生に、本特集の締めくくりとして、日本人の金融リテラシーは歴史的にどう変遷してきたか、また過去の金融にまつわる事件を通して日本人はどう学んできたかについてお話を伺いました。日本人はお金周りの話を苦手とする人が多いと言われていますが、昔からそうだったのか、とても興味深いお話が聞けました。

東証マネ部!:前編では証券市場に関係する投資家や政治家の金融リテラシーの変化について伺いましたが、一方で起業家の金融リテラシーはどうだったのでしょうか?そもそも、明治維新後の1890年代に、いきなり有限責任の株式会社が登場したような形でしたが、世間にはちゃんと理解されていたのでしょうか?

横山先生:徳川時代以来の商人は理解していたと思います。それこそ三井家は一族の様々な事業について、まずは事業ごとに株式会社を創設すると共に、それら株式会社の株式を保有する持株会社として、債務に対して無限に責任を負う合名会社を創設しました。有限責任の会社の事業を一族全体でシェアする方法としてこうしたスタイルが築かれたのです。有限責任と無限責任の違いを理解していないとこうしたことはできませんよね。

一方で、渋沢栄一は別の視点から商人の理解不足を問題視しました。彼は、同時代の商人や事業家の多くが経済や金融に関するリテラシーならびに商業道徳の面で欠如があることに不満を抱いていました。商業道徳の欠如というのは商人たちの責任感の欠如と言ってもいいですね。

渋沢は、こうした状況では日本経済が欧米の勢いに追いつき追い越すことはできないと考えていました。彼の「合本(がっぽん)主義」は広く資金を集めて大規模な事業を行なうための理念ですが、公益の観点から、資金を提供してくれた人に配当を支払わなければなりません。そのためには利潤を確保しなくてはならないと同時に、資金を提供する様々な人々の考え方を掛け合わせて、「その事業は社会にとって大事なもの」と納得してもらわなくてはなりません。

そのために、経営者や創業者だけが利益を独占するのではなく、広く人々が事業に参加するべきで、そのためには一部の人だけの金融リテラシーが高い状況は望ましくないと考えていたのです。そこで、先ほど(前編で)も言いましたが、渋沢は世の中に必要な知識を順序立てて体系的に学ぶプロセスが必要だと考えたのです。

渋沢は現代のステークホルダー型資本主義の先達者とみる見方もありますが、一方で、非常に純粋に、株主の期待に応えること、いわば株主が経営者の監視役とも制御役ともあるいはアドバイザーともなる市場型の企業コントロールをだれよりも尊重した人だったとも言えます。

東証マネ部!:なるほど、誰もが納得しそうな理想的な考えですね。でも、急に金融リテラシーを高めよと言われてもなかなか難しかったのではと思います。その時点で渋沢の理念を理解できている人だけが起業し、理解が足りていないなら理解できるまで猛烈に勉強せよということだったのですね。

横山先生:そうかもしれませんね。しかし、理想を掲げていた渋沢自身も限界に直面します。その限界とは、1909(明治42)年に発覚した日糖事件です。輸入原料砂糖戻税という法律制定に際して、大日本製糖株式会社の役員が政治家を買収し、その買収資金を巧みな帳簿操作から生み出していたのです。

日糖事件の粉飾は巧みな帳簿操作あるいは情報操作がされていて、発見するのは非常に困難な高度な偽装でした。しかも工場を建設する目的で社債が発行されたにもかかわらず、実際は買収資金に充てられるなど、株主が有限原則であるのをいいことに社債保有者のリスクを度外視したことまでなされており、経営者の善意や道徳観を前提にした有限責任が悪用されてしまうという大きな事件でした。

渋沢は大日本製糖の社長として娘婿の阪谷芳郎を介して酒匂常明(さこう つねあきら)という農学者を招き入れていました。サトウキビなどの農作物事情に詳しい人材として渋沢が白羽の矢を立てたのでしょう。ですが、この頃には他の経営陣が粉飾決算など不正経営に手を染めており、酒匂には責任はなかったはずでした。とはいえ、責任の重大さから酒匂は社長の職を辞しようとします。しかし渋沢が酒匂を引き止めたのです。酒匂は自分自身が一切責任のないはずでしたが、自ら命を絶つという悲しい選択をしてしまいました。

明治初期から、渋沢は自らがコントロール役となって専門経営者の事業をサポートするかたちで様々な事業に取り組んでいましたが、コントロール役としての限界をここで痛感することになったのです。この直後に渋沢は数々の会社の役職を辞任していて、いわゆる引退をします。因果関係を判断するのは早急かもしれませんし、彼自身は否定していますが、この事件が多少関係しているのではと見ています。

そして日糖事件を一つの契機として、公認会計士といったプロフェッショナルを導入する制度が議論されるようになります。また、石橋湛山が典型ですが、経済雑誌で企業汚職をすっぱ抜く論説も次々と世に出されます。

さらに、こうした歴史の推移のなかで、残念なことに戦時統制のなかで株主によるコントロール役としての権限は奪われます。政府というよりむしろ軍部の方針として、資金は軍需会社など特定の会社が優先されていました。戦争のために資金や物資を集中的に費やすよう政府は様々な経済の制度を変えていきます。まさに戦時統制経済の時代が到来し、株主が自己都合で会社経営をコントロールすることなど決して許されなかったのです。

そのため株価統制令が出され、株価の下限が決められてしまい、株価で企業の業績を良し悪しするというようなオークション取引はできなくなりました。企業活動のバロメータ役として株価は役割を終えてしまったのです。これは取引所の機能も相当程度に奪われたことになりますよね。軍需産業株を売ることもタブー視されているような状況で、自由な売買をすることもできませんでした。

ちなみに、小学校で複利計算を教えてもらった最後の世代が経営者でいうと、松下幸之助や本田宗一郎、盛田英夫といった世代にあたります。こうした新世代の経営者が出現するのも歴史の面白い巡り合わせです。

松下金属株式会社株券

東証マネ部!:うまくいかないことも多かったわけですね。渋沢を始め歴史上の人物が様々な取り組みを行い試行錯誤した結果今の金融市場があるのだなと、とてもよく理解できました。

歴史を通じて学べることも多いと感じる一方で、歴史は繰り返していて上手く経験を活かせていない気もします。例えば今後バブルの崩壊を防ぐために歴史からどう学べばよいのでしょうか?

横山先生:過去の歴史から学ぶことの難しさをまずお話しておかなければなりません。実は、過去には学ぶための適切なデータが存在していないことが多いという、単純だけれども解決が困難な問題があるのです。そこから無理に学ぼうとするとバイアスのかかった解釈をしてしまいます。

また、現代は経済学の視点から歴史を理解しようということが一部流行していて、私もその一端を担ってしまっているのですが、それについては充分に気を付けなければなりません。歴史は結果がでているものなので、原因と結果の関係については慎重な因果推論が必要となります。ただし、そのために必要なデータが限られているのです。

経済学的に歴史を解釈しきってすべて分かったと思うのではなく、割り切れない、分からない部分についてそれはそれで認めて誤差として留保するという姿勢が重要だと思います。そういう歴史に対する姿勢こそが、次に起こる想定しない、まさに大きな誤差がまねく事態に対する柔軟で早い対応を行う基礎になると思います。

また一方で、事実関係を納得のいく形で整理できるための理論体系は必要です。経済学というのは、こうした体系の面で有用と言えます。何もなくただ過去の経験を見ただけででは、学ぶことそのものが困難かもしれません。

東証マネ部!:私たちは東証の金融リテラシーサポート部という部署で、国民の金融リテラシーを高めて投資についても学んでほしいという想いで仕事をしていますが、一方で1920(大正9)年の頃のように、金融リテラシーの低い人をそのままに金融市場に送り込む役割を担ってしまっているのではという危惧がないわけではありません。

横山先生:現代の金融リテラシーは、家計が直面する様々な選択場面のなかで、納得の行く選択肢の選び方をするにはどうすれば良いのか、あるいはどういう選び方が後悔することになりかねないのかについて、考え方のバリエーションも増やしましょうということです。

ですので、家計の選択肢として株式を保有することを示すことが、直接的に金融リテラシーが低い人を金融市場に送り込むことではないと思います。ただ、選択肢を示す以上、進むべき方向性や踏みとどまるという自身を制御する方法を提示できるかどうかというのは重要です。

東証マネ部!:過去の金融にまつわる事件をきっかけに預貯金がベストだと思い込んできた多くの日本国民に対して、資産形成の手段は他にもあるのだということを示していくと同時に、それぞれの特徴や注意点についてもしっかり伝えていくことが大切だと改めて感じました。ありがとうございました。

(東証マネ部!編集部)

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【総括編】明治から昭和にかけての日本人の金融リテラシーの変遷(前編)

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